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すれ違う議論

数年前から大好きな推しの情報を入手し、推しへの思いを投稿するアカウントを持っている。

そのアカウントで初めて、プチバズリを経験した。
それは推しが巻き起こしている批難や論争について、(気乗りしなかったものの)調べたところ、これまで思ってきたことが沸々と湧き出てきたので、勇気を出して投稿したものだった。
所詮フォロワーも数十人しかいないアカウントなので、ある程度のファンの目にしか止まらないだろうと思っていたのだが、あれよあれよと広まり、今では1400を超えるlikeがつけられた投稿になった。

投稿への反応の大半は、推しのファンからの賛同する意見だったのだが、バズってしまった関係からか、若干否定的な意見が寄せられた。

そうした意見は、
・ただ否定したいがために失礼な言葉を書き並べただけのコメント
・自分が書いていない反対派の主張について、書いていない=認めていると主張するコメント、
・自分が書いた一部の箇所について、もとの主張の論理と関係ないかたちで反論しているコメント
に大きく分けられた。

1つ目は、議論になる余地がないので、放っておく。
2つ目については、反対派のその主張を認めていない。ただ、人によって考えが異なっていいと思っている中で、「反対派が〜と思っている」という事実自体を否定するつもりはない。
3つ目は、自分の議論の論理構造を理解してもらえておらず、言葉だけを勝手に使われて誤った解釈をされていると思う。

2つ目と3つ目については、再反論しろと言われればできるのだが、そもそも議論が噛み合っていない中、論理的に返したところで、確実にまたピントのずれた反論が返ってくるだけだと思っている。
おそらく、私の説明を理解してもらうことがない。
だから、再反論はしない。
こういうとき、沈黙が正義だと思う。

SNSでは、くだらない争いが絶えないな、と距離をとって見てきたのだが、これは議論のすれ違いに気づかず、自分の思いに従って、「つい」意見してしまうからなのだろう。

やはりSNSは真っ当な議論に向いていないなと感じた出来事だった。

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