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日本テーマパーク史研究ノート2〜富士ガリバー王国について2

はじめに(この記事を書こうと思った理由が書いてあるよ!読みたくなければ飛ばしてね!!)
日本にはかつて数多くのテーマパークがあった。

それらはバブル期を中心として全国に作られたが、多くはバブル崩壊といった経済的な危機や他の娯楽に押され、閉園に追い込まれる。一方で一部のパークは現在でも営業を続け、日本における代表的な観光地として知られている場所もある。
その数の多さにも関わらず、日本においてこれらのテーマパークを「1つの文化」として包括的かつ通史的に扱った言葉は、今のところ、まだ、ない。

このNoteでは日本のテーマパーク史について、研究ノートのように書く。あらかじめ断っておくと、筆者は専門でテーマパーク史を研究しているわけではない。いくつかのサイトで記事を書くライターでしかない。
ただ、ライターとしてデイリーポータルZやLOCUST+などで書く機会があり、今後そうした媒体でテーマパークについて書くと思うから、そのための研究ノートだ。取材ノートでもいい。したがって小さな事実誤認や、思い違い、調査不足などは多めに見て欲しい(というよりそもそも、日本のテーマパーク、特に閉園してしまったテーマパークについては資料そのものが残っていないことも多いのだが)。ここに書き記すのはあくまでも調査の過程だと思って欲しい。もちろん修正点が見て使った場合は適宜修正していくが、それも含めて一つの調査の過程だと思って欲しい。

タイトルは「日本テーマパーク史」。ちょっと範囲が大きすぎるのではないかとも思ったが、とりあえず全体のテーマはこうした。大きく構えていても、一つのテーマパークについて、少しずつ回数を分けて書いていくことになる。いきなり日本のテーマパークについてその見取り図を書くことなどできないし、そもそも「テーマパークとはなにか」という定義さえ、私の中でも決まっていない。
おそらく、少しずつ個別のテーマパークについて書きながら、徐々にその全貌が見えてくるのだと思う。

したがって、その調査の過程を楽しんでくれれば、と思う。

幻の「富士ガリバー王国」をもとめて(Ⅱ)

「富士ガリバー王国」調査ノートの2回目である。
前回、Google Mapを検索していると「富士ガリバー王国跡地」というMap上には反映されないスポットを発見した。それは「富士クラシック」というゴルフ場の上、今は空き地になっていると思われる場所に隠されていた。

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▲幻のスポット。「史跡」らしい

そこには、どこへ通じるか分からない電話番号が書いてあった。
だとすれば、ここに電話してみるしかない。

謎の電話番号はどこに通じていたか

早速電話をかけてみた。

                           (呼び出し音)
(電話口)はい、こちら富士河口湖町役場です

なんと、電話番号は、富士河口湖町役場の番号だった。
予想外の展開だったが、とりあえず私は電話した旨を伝えることにした。

(私)すみません。私、富士河口湖町にかつてあった「富士ガリバー王国」について調査している者です。Google Map上で「富士ガリバー王国」を調べたところ、この電話番号が出てきたので管理会社の電話番号かなと思って電話したのですが……
(役場)はあ……。

明らかに相手は困惑している。電話したのは2020年3月29日。おりしも新型コロナウイルスが猛威をふるい、東京を初め関東近郊圏の多くで外出自粛が出されている時期である。まさか河口湖町役場の方も、こんな時期に「富士ガリバー王国」について尋ねられるとは思ってもいなかっただろう。
お構いなしに、私は続ける。

(私)えっと、「富士ガリバー王国」の跡地っていうのは、そもそも今はどこに所有権があるんでしょう。
(役場)すみません、今日、休日ということもあって、役場に日直しかいないので詳しいことはわかりかねますが、土地の所有関係だと富士吉田市にある法務局に尋ねないと分からないと思います。
(私)あ、そうなんですね。
(役場)あらかじめ法務局に連絡してもらって、伺ってもらう形になりますが。
(私)ええ、あ、そうなんですか。直接?
(役場)はい、直接ですね。
(私)えっと、それだと、「富士ガリバー王国」の土地が少なくとも富士吉田市が所有しているということはないわけですか。
(役場)おそらく、はい、そうだとは思いますが……

大変なことになってしまった。
「富士ガリバー王国」の権利関係を見るためには富士吉田の法務局に直接行かなければならないのだ。

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▲富士吉田の法務局を調べた。「富士山駅」にある。遠いよ

1つわかったのは、「富士ガリバー王国」の土地と富士河口湖町はほとんど関係がないということだ。Google Map上に「富士ガリバー王国跡地」をスポット登録した人は電話番号を富士河口湖町役場に登録したが、それは早計だった。確かにある場所に広大な空き地がある場合、所有権は自治体にあると考えてもおかしくはないだろうが、ここは違ったのだ。
つまり、どこかの民間の会社が未だにこの土地を所有している。この、空き地を。それはどこなのだろう。いきなり富士吉田の法務局に行くわけにはいかないが、まずはインターネットを使いつつ、分かることを調べてみよう。

「富士ガリバー王国」所有権推移の煩雑さ

富士ガリバー王国の土地所有に関して、ウィキペディアが非常に詳細な報告をしている。このソースが一体どこにあるのか分からないのだが、一旦ウィキペディアの情報をそのまま信じてみることにしよう。

(1)テーマパークからドッグランへ
以下は、ウィキペディアからの引用だ。

(2001年の閉園後:著者補足)2002年(平成14年)11月に行われた3度目の競売で[中略]大阪市に本社を置く株式会社壮快美健館(当時:タカギリゾート)が約14億円で落札し、売却した。この関係で引き続き管理者が入る状態となった。ゴルフ場とホテル(著者補足:富士ガリバー王国の隣には同じ運営元でゴルフ場とホテルがあった)は2003年4月に「富士1ばんゴルフ・ホテル」の名称で営業を再開した。
2004年(平成16年)8月にガリバー王国跡地は壮快美健館により「ザ・ドッグラン」(敷地面積12,000㎡)としてオープンした。しかし2005年(平成17年)には営業を休止(事実上の閉鎖)している。

えっと、複雑そうに見えるが、要はテーマパークもホテルもゴルフ場も、株式会社壮快美健館に経営・管理権が移ったわけである。2002年に同社がこの土地を落札し、2003年にはゴルフ場とホテルがリニューアルオープン。
そして遊園地部分はその一部がドッグランになった。犬を自由に走らせることができる広さ12000㎡のドッグランだったと森達也氏は書いている。遊園地跡地がそのまま全てドッグランになったのではなく、この時点ではまだガリバーの構造物などは残っていたようだ(ガリバー王国の広さはウィキぺディアによれば370000㎡だからドッグランの12000㎡には遠く及ばない)。

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これがガリバー王国のありし日の姿(ホームページより引用)だが、この部分のうち、ドッグランになったのはどこだろう。廃墟になったときにいくつかの園内写真は撮られているから、その写真を見ることでどこがドッグランになったのかわかるかもしれない。

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▲これが全景写真としては分かりやすい。真ん中が「ガリバー島」でその奥に見えているのは「北欧村」だ(画像出典:https://spaicy.jp/fuji-gulliver-kingdom)

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▲これは北欧村だろう。富士山がよく見えるから全く北欧感がない。北斎感の方がしっくりくる(画像出典:https://spaicy.jp/fuji-gulliver-kingdom)

ということは上の地図のうち「ガリバー島」と「北欧村」はドッグランにはなっていない。可能性があるのは「ふれあい牧場」・「ボブスレーランド」・「バルーンワールド」のどれかである。これ以上はネットの情報だけでは調べることができないが、それもおいおい分かるかもしれない。

しかしそのドッグランも翌年の2005年には閉鎖し、次なる土地の買い手を待つことになる。この土地、なんというかツイていない。どんなテナントが入っても潰れてしまう貸し物件をよく見かけるが、それに近いだろう。

さて、そんなこんなで夢中で調べていたらまた文字数が多くなってきてしまった。実はこのガリバー王国跡地問題、ここからの顛末が非常に面白いのだがそれを書くとあまりにも長くなってしまうため、今日はここまでにしておこう。明日はこのガリバー像が壊されるところから話を始めよう。 

しかし富士ガリバー王国、調べれば調べるほど「いわくつき」な物件かもしれない。

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(画像出典:https://spaicy.jp/fuji-gulliver-kingdom)

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