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日本テーマパーク史研究ノート3〜富士ガリバー王国について3

はじめに(この記事を書こうと思った理由が書いてあるよ!読みたくなければ飛ばしてね!!)

日本にはかつて数多くのテーマパークがあった。

それらはバブル期を中心として全国に作られたが、多くはバブル崩壊といった経済的な危機や他の娯楽に押され、閉園に追い込まれる。一方で一部のパークは現在でも営業を続け、日本における代表的な観光地として知られている場所もある。
その数の多さにも関わらず、日本においてこれらのテーマパークを「1つの文化」として包括的かつ通史的に扱った言葉は、今のところ、まだ、ない。

このNoteでは日本のテーマパーク史について、研究ノートのように書く。あらかじめ断っておくと、筆者は専門でテーマパーク史を研究しているわけではない。いくつかのサイトで記事を書くライターでしかない。
ただ、ライターとしてデイリーポータルZLOCUST+などで書く機会があり、今後そうした媒体でテーマパークについて書くと思うから、そのための研究ノートだ。取材ノートでもいい。したがって小さな事実誤認や、思い違い、調査不足などは多めに見て欲しい(というよりそもそも、日本のテーマパーク、特に閉園してしまったテーマパークについては資料そのものが残っていないことも多いのだが)。ここに書き記すのはあくまでも調査の過程だと思って欲しい。もちろん修正点が見て使った場合は適宜修正していくが、それも含めて一つの調査の過程だと思って欲しい。

タイトルは「日本テーマパーク史」。ちょっと範囲が大きすぎるのではないかとも思ったが、とりあえず全体のテーマはこうした。大きく構えていても、一つのテーマパークについて、少しずつ回数を分けて書いていくことになる。いきなり日本のテーマパークについてその見取り図を書くことなどできないし、そもそも「テーマパークとはなにか」という定義さえ、私の中でも決まっていない。
おそらく、少しずつ個別のテーマパークについて書きながら、徐々にその全貌が見えてくるのだと思う。

したがって、その調査の過程を楽しんでくれれば、と思う。

幻の富士ガリバー王国をもとめて(3)

さて、調査ノートの3回目である。
前回は、閉園したのちの富士ガリバー王国の土地所有権の推移についてみてきた。今日はその続きからだ。

「富士ガリバー王国」所有権推移の煩雑さ(2)

前回までの流れを大まかに確認しておくと、富士ガリバー王国は新潟中央銀行の手から離れたのち壮快美健館に売却され、ホテル・ゴルフ場はそのままリニューアルオープン(2003年)、遊園地の一部はドッグランになった(2004年)。しかし、それも2005年には閉鎖してしまう。
もう一度言っておくと、この時点ではガリバー像などの構造物はまだ残されていた。廃墟スポットとしての人気が出た時期はおそらくこの辺りだろう。

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▲これがそのままあったわけです

(2)構造物解体

では、その後、富士ガリバー王国の敷地はどうなったか。ウィキペディアからの続きである。

その後、不動産デベロッパー大手の「アーバンコーポレイション」が2006年(平成18年)に壮快美健館が落札した3施設(著者注:ガリバー王国の敷地とゴルフ場、ホテル)の不動産と経営権を買収。2007年(平成19年)にはゴルフ場とホテルを「富士クラシック」に改称。ガリバー王国の構造物は解体・更地化し、大型リゾートホテルの建設を検討していたと言われるが、2008年(平成20年)8月に同社は倒産。これにより富士クラシックはエーシーキャピタルが買収し三たび経営権が異動したものの営業を継続しているが、アーバンコーポレイションに残ったガリバー王国跡地の再利用策は不透明なものとなっている。

ウィキペディアの記述はこれで終わってしまう。
なんともモヤモヤする記述である。

整理してみよう。まず、壮快美健館の手にあった富士ガリバー王国はゴルフ場・ホテルもろとも「アーバンコーポレーション」という大手デベロッパーの手に渡る。この「アーバンコーポレーション」が実はまた大変な曲者なのであるが、とりあえず脇に置いておこう。

そしてこのときに、建物が解体される。廃墟としての生命が終焉したのだ

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▲Google Earth から見た「富士ガリバー王国」跡地の航空写真。この航空写真、また別の機会に詳しく見ます。ただ、土地の形が微妙に残っているので、ホームページの写真と照らし合わせるとなにがどこにあったのか、かなり特定できる

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▲上の航空写真と見比べてみてね

その後、アーバンコーポレーションも見事倒産し(本当に富士ガリバー王国、呪われてるんじゃないだろうかってぐらいにツイてない)、ホテルとゴルフ場のみがエーシーキャピタルという別会社に売却された。しかし遊園地の敷地自体はアーバンコーポレーション持ちになっており、そのまま記録は雲散霧消している。

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▲ゴルフ場は今でも富士クラシックとして健在です

つまり順当に考えるなら、富士ガリバー王国は現在、倒産したアーバン・コーポレーションの持ち物になっているのだ。
倒産した会社の持ち物……?そんなことが可能なのか。矛盾していないか。

アーバン・コーポレーション盛衰記

アーバン・コーポレーション(以下、UC)という会社は今でこそ、その名前を聞く機会はほとんどないが、2000年代中盤、不動産バブルの頃に名を馳せた会社らしい。タワーマンションなどをバンバン売り、ちょっとした時代の寵児として世間から見られていたようだ。
しかしリーマンショックや反社会勢力とのつながりの発覚により経営状況が悪化、2008年に倒産している。

で、問題はここからだ(UCを立ち上げた房園博行氏に関しては色々と噂があり、それだけでもなかなか面白いのだが、今回は触れない。気になった人はぜひ自分で調べてみて欲しい)。

▲ちなみに房園さんの特集記事。今読むとなんとも物悲しい

UCが破産したのは2008年のこと。そのあと民事再生の手続きを行い、その精算が終了してUCが完全解散したのが2014年。つまり、UCは名実共に、もう完全に存在しない会社なのである。
整理すると実に奇妙な状況が浮かび上がる。

それはつまり、「富士ガリバー王国」の跡地は、存在しない会社が所有しているということだ。

残念なことにネットのどこを見ても、富士ガリバー王国がUC以降、だれの所有するところなのかは書いていない。ここで気になるのは以下の2点である。

・破産した会社が所有する不動産物件は破産後も所有可能なのか?
・その場合、同物件・土地についての連絡は誰にすれば良いのか?

土地所有をめぐるあれこれ

さて、上記2つの疑問を解決するためにはやはり、土地所有に関する法律や取り決めを見ねばなるまい。
わざわざこのような「テーマパーク」というなんだかワクワクする単語から離れて「土地所有」とか「権利関係」とかつまらなそうなことを書くのには意味がある。これは直感的な話だが、テーマパーク、それも廃園して打ち捨てられたテーマパークというのは日本に数多くあるが、それらの多くは土地所有がきわめて曖昧な状態になっているのではないだろうか。なんというか、ブラックボックスというか。
しかし土地そのものはテーマパークを作れるぐらいだから広大で、値段も馬鹿にならないはずだ。その所有が閉園という形でうやむやになり、中に浮いている。いわば、日本の真空地帯である。そこにどう切り込むか。それは多分テーマパークを考える上でとても重要な問題になると思うのだ(ここら辺、あくまで研究ノートの推測なので、今の段階では根拠などはないです、予想、というか勘に近いので悪しからず)。

そういうわけで、上記の2点について早速私の知り合いで法律に詳しい人に話を聞いてみた。すると、なんとも興味深いことがわかった。そして同時に、「富士ガリバー王国」の秘密を探る鍵が、その人との会話から見えてきたのである。そのあたりは、また明日書こうと思う。

では、また!

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