六本木的な、あまりに六本木的な
A
つまり、べつの話とは、「なぜ、それは六本木でなくてはならなかったのか」という問いだ。「東京の中のアメリカ」という特別性(K)。もしくは「六本木ヒルズ」という特異点(F)(G)。これらは確かに六本木という街を特徴づけている。しかしなぜ『三月の5日間』が六本木から始まるのかということについては答えてくれない。
B
『三月の5日間』は演劇団体チェルフィッチュの岡田利規が2004年に上演した演劇作品だ。
渋谷、円山町のラブホテルに閉じこもるミノベとユッキー(C)、ミノベの友達であるアズマと、アズマとたまたま映画館で知り合うことになるミッフィー(Q)、そしてイラク戦争反対のデモに参加するイシハラとヤスイが過ごすそれぞれの3月の5日間が描かれる。
そしてもう一人スズキ(N)という人間がこの戯曲には登場する。いや、登場という表現はどうだろうか。スズキは劇中で確かにしゃべっているのだが、最終的には話題の中心にならない、不思議な存在だ(N)(O)。
C
チェルフィッチュの演劇は「超口語」と呼ばれ、日常会話の中で実際に有り得る言い間違いや、脈絡のない話題などがそのまま台本になっている。例えば『三月の5日間』の冒頭。
「ですけど」や「っていう」、もしくは同語の反復など実際の日常会話では十分にあり得る言葉を大胆に台本に導入する。従来の演劇台本では排除されていた、本来の会話に含まれるノイズをそのまま取り入れるこの形式はまた、その身体演出においても同様である。岡田利規は普段の会話の中で何気なく人間が行ってしまう動作を拾い上げ、極端に反復させ、コンテンポラリーダンスのような身体を表出させる。
岡田が言葉や身体に対して行うこうした操作は、日常生活の中で、確かにそこにあるが忘れ去られているものを拾い上げ、強調するという手法を取っている。
D
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