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4月の私

 4月。人も、植物も、そわそわと動きだし、みるみる景色が変わる春。私も例に漏れず、仕事も暮らしも変わりはしないけれど、気温が高くなって体も良く動き、外に出る予定が増えてきた。
 余談だけど、いつまでも衣替えができないのって普通なのだろうか。こたつ布団、カーペット、コート……5日おきくらいに徐々に冬のものを減らしていくような、頭ではなくて感覚でなんとなくやっている衣替え。まあ、新潟はゴールデンウィークになっても夜が寒かったりするから仕方ないか。

 今日4月30日、個人でつくっている雑誌「なわない」の創刊号がついにすべて修正が終わり校了となった。なんだかんだ、4月はずっと原稿とにらめっこしていた。レイアウトもすべて自分でやっているので、素人の自分は効率的なやり方を知らない。「ここまできたぞ、お、ぼんやり向こうが見えてきたから次はこれか…」という感じの、3m先までしか見えない霧のなかを進んでいるような日々だった。でも進むとちゃんと足元と少し先は見えるので、気がついたら校了まで来ていたという感覚もある。
 ものをつくるって、何かを積み上げるって、こういうことなのかもしれない、と生意気にも少し分かったような気になった。毎日、毎週、少しだけ進むこと。最初見ていた山の頂上にひとっとびに行く方法はないし、やる前は必要な方法がすべて見えるわけでもない。やってみるからこそ道ができる。やる前には道はわからない。
 あと、序文やあとがき、インタビュー後のコメントなど、自分の文章を完成させるのにも時間を費やした。ここでも、悩んだ時間に比例してちゃんと、最後にはそれなりの表現や形が出てくるような気がしている。思考の軌跡は、無駄にならない。私の頭の中にそれが残って、次の思考を磨いてくれる。

 これもいっちょ前に……と思われるかもしれないけど、人の文章を見る力もついた気がする。というか、町のあちこち、ネットのあちこちの文章表現が気になるようになった。今までは感覚と雰囲気で読んでいたのかも、と思うほど、あれこの言い回しなんか日本語的に変だな…と思うことが増えた。この人はこの単語をこう使うのか…と単語の意味や使い方の違いも気になる。それは間違いを指摘したいわけではなくて、やっぱり言葉や文章をみんなそれぞれの使い方で使っているからこそ、大げさな付け加えの形容言葉よりも、まずは共通してきちっと意味が分かる文章が大切だということ。基礎は侮れない。やっとここからスタートだ。

 基礎といえば……とある会社の社長と仕事で打ち合わせをしていて、同席していた22歳くらいの男の子にしっかり向き合って話していた話が印象的だった。「今、こんなこというと若い子は嫌だと思うけれど、やっぱり『下積み10年』『苦労は買ってでもしろ』という言葉は本当なんだよね。今はツールが発達したから10年はいかないにしても…」
 その男の子は最近では珍しく?地域づくりの分野でコーディネーターのようなことをしながら、就職せず生きていく道について話していた。話の中身自体はとても理想的で、素晴らしいものなのだけど、現場を7年見てきた私や、Uターンし従業員を抱えて家業を継いで10年以上になる社長には、その子がぶち当たりそうな壁がなんとなく見えていた。私なんかは「そうねえー」なんて濁していつも終わらせてしまうのだけど、社長はちゃんと向き合って言葉を返していた。「一本柱になる事業があることと、それによってお金を稼ぐこと。それは悪いことじゃないんだよ」
 横で聞いていて社長に感服するとともに、こういう、世代も考え方も違う人同士が遠巻きに見てるだけじゃなくて伝えたいことをお互い伝え合うことができるのは、もしかしたら同じ地域同士で「出会ってしまう」「関わってしまう」からこそなのかもしれない、と思った。「共感」でしかつながろうとしない、同族でしか一緒にいようとしない現代において、この光景はとても尊いものなのかもしれない。

 去年からの気づきや、雑誌の制作なんかを経て、「耳に心地よい」ものだけが真実ではないと知ったから、社長の話にもタイムリーに頷けた。理想論は大切だし、願いも含めて言い続けることやポリシーとして持っていることは大事だ。でも、信頼している関係性の中で、耳が痛いこともぽろっと言ってくれるような人がいたら、聞いておくべきなのかもしれない。その瞬間深くは心に入れなくてもいいから、「あの人ああ言ってたな」とあとで頭にちらつくくらいの感じで。
 20代前半の私が聞いたら、「下積み10年」「苦労は買ってでもしろ」なんて憤慨して抗議しただろう。本当の意味はその理由や行間にあるので、それを説明してもらったとしても……どうかなあ。自分が体験していないことはイメージできない、と思っている節があったから、聞き分けの悪い若造だったと思う。だから「30歳になる」のもなんだかイメージができなくて、怖かった。ただ、聞き分けが悪くて「私はこれじゃない」が強かった分、もっと自分の肌に合う環境を求めて進んでいったし、だからこそ新潟のツルハシブックスにたどり着いた。そして今、最高に暮らしやすく働きやすい環境にいるから、今とは違う過去の自分にも感謝している。

 「共感」だけですべてつながろうとするのは怖い、と最近思うようになった。もちろん一つの共感もない人やコンテンツは触れたいとも思わないだろうけど、考え方すべてに共感しているわけではないことがむしろ大事だと思う。ほどよい距離感。私はこの部分が良くて受け取ってるんですよ、という感じ。まるごと染まらないこと。その方が、コミュニティも商売も企画も持続しやすいのではないかなと思う。うまく説明できないけど。

ほどよい距離感が上手になった、最近の私。といっても、新潟に来たばかりの頃からの付き合いの友人たちとは、なにもかもさらけ出すような話し方をしてしまう。でもそれは「共感の強制」ではなく、「あくまで共有」なので許してほしい。むしろ、あなたはどう思う?を聞きたいし、議論したい。
4月は心から大切な友人たちや、最近出会った尊敬できる人たちと飲んだり話したりする機会が何度もあった。ラジオも続けている。伝えたいことは伝えながら、伝えなくてもいいことも案外たくさんあることを知りながら、日々は進んでいく。

***おまけ

そういえば、4月Huluに入って見ていた2003年のドラマ「すいか」が素晴らしかった。コミカルで愉快な登場人物たちと、ぐさっと刺さる絶妙な名言。どれもありきたりではなくて、唯一無二感がすごかった。シェアハウスに暮らす女性の教授が話す「自分で責任を取るような生き方をしないと、納得のいく人生なんて送れないと思うのよ」のセリフが忘れられない。そして、なんでもない自分を抱きしめて生きていけるような優しいドラマでもある。「めがね」「かもめ食堂」でもおなじみの俳優さんたちがレトロかわいい服や家具とともに出ていますよ。おすすめです!

あ、あと奈良のブランドNAOTの、かわいい革靴サボを買ったら毎日るんるん気分になりました。新潟に来てくれて嬉しい!


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