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きっと進んでいる

冬の足音がひたひたと聞こえている。あっという間に11月になって、それも終わりを迎えている。今月は「あと2カ月で今年が終わりだなんて!」という会話を20回くらいしていた。これもきっと毎年恒例。

今年があと2カ月で終わり、ということが私を無駄に焦らせる。今の状況を客観的に見て、「何も進んでない」と決めつけて、今すぐに何か決断をしなければと思ってしまう。これも「思考のクセ」だと思う。
摂取するコンテンツ、毎日食べるごはん、毎週の移動距離、会う人達が使う言葉。いろんなことが「クセ」づいて定着してしまい、気が付かないうちにとある方向へいってしまう。いろんなことに気がついていない気がして、怖い。中毒性のあるモノゴトが怖い。戻れなくなる、みたいな落とし穴がありそうで。私はいつまでも「まだ戻れる」の位置にいたいんだろうなあ。どこかで覚悟をしなくてはいけないのに。

11月の頭にあった大きなイベント「うちの蚤の市」が終わってからしばらくはふわふわと気持ちのやりどころがない状態を過ごした。このイベントが終わると、新潟は冬ごもりの時期。冬は仕事もオフシーズン気味で、時間はあるけど外は天気が悪く動けない。外に出づらい。「雑誌をつくる」という春までの目標はあるのだけど、注意散漫な私は毎日それに没頭はできないのだった。
「うちの蚤の市」では、雨のせいでお客さんが少ない時間もあり、いつもよりも出店者の皆さんとゆっくり話せた。この1年でまた出店者さんの何人かとは関わりが深まった気がしている。この先はどうなるだろう。

11月半ば、友人2人と富山に行った。雨の中の1泊2日旅行。よく遊ぶけど、3人で遠出の旅行は初めてだった。新潟から車で3時間、美術館や本屋に寄りながら宇奈月温泉の宿に着き、ごはんとお酒を楽しむ。熱の入ったおしゃべりもあれば、ただスマホから音楽を流して歌う時間もある。kemioくんも言っていたけど、友達とただ近況をしゃべって終わるお茶や食事だけでなく「ともに何かを体験する」というのはたしかに良いものだった。1人に慣れてしまうと一緒に予定を立てるというのは確かに面倒くさいけれど、行ってよかったな~と思える余韻がしばらくあった。友達との距離感や関わりかたも、年齢を重ねて分かることがたくさんあって楽しい。

宿の朝感があって好きな写真

2拠点生活をしている集落の家についても進展があった。大きな古民家を私がたまにしか使っていないのがもったいないので誰か使わないかと知人に呼びかけていたところ、興味のある人がいると連絡が来た。しかも、同じ町内で素敵なお店を始めるチームの方。この冬から徐々にシェアする形になっていきそうだ。思いがけない展開。
私が個人としての仕事に関わる目標ができ、正直「田舎暮らし」を楽しむ時間と気力の余裕がない‥‥‥と限界を感じていた今年だった。お米づくりと家の管理、少なくとも今両方続けるのは厳しいと感じ始めていた。この地域に拠点を移した2021年、まだそこに投入できるエネルギーがたくさんあった私は意気込み、たくさんのイベントやDIYなどとにかく動いていた。めちゃくちゃ動く主宰者がいると、参加者はハードル低く気軽に参加できる。けれど、そのスタートが基準になってしまうと、参加者側の負担をそこから増やしていくことは難しかった。私が「住んでいる」以上、私が分かりやすくホスト役になってしまうのも仕方がなかった。

先日、家をシェアする予定の人と何人かでひょんなことから珈琲の焙煎体験的なものをやることになり、すきま風通る家の中で手回し焙煎機を囲んで、解説を聞きながら珈琲の生豆を焙煎した。私以外のメンバーは皆飲食に関わる仕事をされていて、初めて聞くこと・知ることがひたすらに多かった。それ自体もとても楽しかったのだけど、この家に今まで来なかった人たちが足を踏み入れてくれて、新たな風が吹いた気がした。縁あって借りることになって、試行錯誤したこの家を「ただ終わり」にしたくはない。これまで私がやってきたこともなにか新しくて楽しいことにつながるかもしれない。そんな嬉しい兆しが見えている。

冬はついつい、ネガティブ思考になる。あえて自分の日々の悪いところを探し出してつまみあげ、「私はこんなにできてない」「まわりはすごい」と心の中でため息をついてしまう。
そんな私に、久しぶりに映画館へ行って見た映画「ミステリという勿れ」の中で、主人公の天才大学生整君のセリフのひとつがじんと沁みた。

「下手に見えるってことは、目が肥えてきてるということです」

何か興味があったりやりたいことがあって、それについて手を動かしたり知識を増やしたりすることは、「その世界のすごいもの」が見えてきたり「過程の難しさ」が見えてくるということでもある。それによって今の自分の立ち位置や技術も見えてきてしまい、「まだまだだ…」と落ち込むけれど、それは「やる前」より自分の感覚が磨かれているということでもある。レベルアップのひとつだとも言える。 
いろんなことに対して前向きにとらえられる言葉だった。振り返ると、この1年間私の目もある分野において肥えたところはあると思う。肥えたというか、解像度があがったというか。そして、人生というものへの解像度はどうしたって年々あがると思うのだ。日々考えて生きていたら。だから、「頑張れていない」と落ち込む時間は少しでも減らして、目の前のこと・好きだと思えることに対して手を動かしていきたいと思う。



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