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目、あるん忘れてた。

沖縄県での米兵による事件。その被害者の泣き寝入り。自分と同世代の女性が突然今までの自分を奪われること、その苦しみを想像すると胸が痛くてそむけてしまう。

21年間自分はそうやって生きてきた。世の中で起こる悲しいことすべてに目をつむっていた。ニュースで流れる悲しい出来事もチャンネルを消してしまえば自分は悲しまなくて済む。でも、自分だけ。

Twitterで話題になっていたのでニーメラーの言葉を読んだ。

「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.htmlより


もし私の住んでいる街に基地建設の案が出たら、もし私が米兵に暴行を受けたら、もし私の大好きな自然が壊されそうになったら。私はその時でさえ声を上げないのではないか。きっと誰かが守ってくれることを待っているに違いない。誰かを守らなかった私に守ってくれる人などいないはずなのに。

こんな甘ったれた21歳じゃだめだ。

もう目を開けよう。

(中日新聞の特集「ふたつの戦後」を読んだので、今は沖縄のことで胸がいっぱいです)