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自分の哲学はありますか?

失敗の本質を読んだ。
これは日本軍の敗戦理由を分析した本だ。
本によれば、戦時中または戦後から教育体制、評価される組織の仕組み、組織のトップ(議員など)の責任の取り方がなあなあにしがちなのも軍隊の仕組みからあまり変わらずに来た。
学んでいるようでそんなに変わっていないのではと思った。
教育:模範解答が用意されて、どのくらい近いかが評価基準になっている
責任:天下りのようなものが当時からあったよう

この本を読んで考えさせられたのは、自分なりの哲学はあるか?という問いである。
あんまりパワハラチックなものは哲学なのか?という疑問が浮かぶが。
山口周さんは、美意識と言っている。
自分の言う哲学も美意識に近いものだと思う。
自分の哲学とはなんだろうか。。。
やっぱり旅にまつわることだろうか
定期的に自然に触れて、何かを突き詰めて考えるとか?
気になる所に足を運び続けるとか?
あまりパッとしないが、探し続けるものなのだろう。

哲学が教養として本屋に並んでいるのは、とても違和感がある。
教養として知っておくというよりは、考えたり深掘りしたりするための土台であり、それを基に考え続けるものだと思うからだ。

この流れを踏まえると、この変わらなさは良いところも悪いところも代々、骨身に染みついているものなのかもしれない。

今日も読んでくださりありがとうございます!