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黄泉の国から返ってきた戦士たちよ

別に事故でも、病気でもなく。
床に臥せっていたわけでもなく。
傍にいた人たちでさえ気づいていない程度でお恥ずかしいのだけれど。
結構な長い間、不調だった。

なんとも危うい時間を過ごしていた。

全てが不毛に感じて。
食材を購入して、鍋を汚して料理を作って、皿を汚して食事を摂って、ゴミを出して、排せつして、また食材を購入して、という一連の生活の何もかもが不毛で苦痛でたまらない日々を送っていた。

別段、不幸ではないし。
むしろ、どちらかと言えば幸福で。
日々、充実していて、充足を感じている。

それなのに、ふとした瞬間に、全てを手放したくなる危うさがあった。

けれど、それを誰にも伝えられず。
深刻に聞いてもらいたいわけでも無く。
心配されたり、気遣ってもらいたいわけでも無くて。
気味悪がられたり、異様に思われるのも違うし。
そして、これは誰にも分からない、少なくとも私の周りの幸福な人たちには理解し得ないだろうと思って、口をつぐんでいた。

苦しまずに死ぬ方法を考えたり。
そのための道具を購入したり。
あちら側へ踏み出すまで、あと一歩という夜を超えて、なんとか踏みとどまって、戻ってきた。
多分。もう大丈夫。

何が原因だったのかも。
よく分からないし。
何が要因で戻って来られたのかも。
よく分からない。

絶望していなくても、人は自死を選びかねないんだ。ということを知った。

そして、これはもしかしたら、適切な医療機関を受診すれば、何らかの病名が充てられる類のものかもしれない、と思った。
もし、薬やカウンセリングで、私の心身が繋ぎ止められるなら、受診すべきだとも思ったのだけれど、【適切な医療機関】とやらを探る気力も失っていて、どうにもならなかった。

ただ、じっとしていた。

ふとすれば、あちら側へ心が傾くのを静観して。
気持ちに蓋が出来る時は、極力蓋をして。
自分で自分の危うさを見ないように。
ただ「危うい」という自覚を持って。
卒業、入学、そして卒業、成人、就職、なんなら結婚、出産、これから訪れるはずの娘の慶事を思い描いて、その日、そこに居る自分を想像した。

表向きの私は――
馬鹿みたいに週5日、6日もテニスに興じて。
バシバシ仕事して、子育てして、夫との関係も良好で。
ネガティブ事象に対して、自動ポジティブ変換機能が付いていて。
時々、自力でどうにもならないネガティブ事象は、スピリチュアル的発想で乗り越える。

誰もコイツが病むとは、思わない。
私自身も、闇とはうまく付き合える自負がある。

だからこそ、本当にビックリしたし、少々つらかった。
今思えば「何をしても楽しいと思えない」に限りなく近かった。

また落ちるんじゃないか。っていう不安も、ない訳ではないけれど。
NOTEに書けるぐらいの精神状態に落ち着いた。
きっかけ不明で乱高下したので、何に気を付ければ良いのかも、何を不安がれば良いのかも分からないので、考えるだけムダかな。と、思えるぐらいに安定した。

じっとしていた反動か。
それこそ躁鬱のきらいはあるけれど。
テニス以外の趣味が2、3増えて、地味に忙しくなった。

けれど今はただ、
自分の趣味より何より、娘達に、目も手も時間も掛けたい。

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