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活力が沸かず「いい子」でいた反抗期

幼い頃、私は「よくできた子」だった。それは、大人にとって都合の良い「とても聞き分けの良い子」だった。

5歳年上の兄がいて、彼もまた、幼い頃からとても良い子だった。親戚からの評判も、ご近所からの評判も良く、物静かだけれど知識が豊富で、学校の成績も良かった。

私はそんな兄を目標に、大人に褒められるべく、聞き分け良く、大人の求める「ちゃんとした子」であろうとした。

と、同時に、私は極度の人見知りだった。
親戚の集まりでも父にべったりで、見知らぬ人とは口が聞けなかった。親に「アイスが食べたい」と言えても、「じゃぁ自分で貰っておいで」と言われると、途端に「食べたくなくなったから、要らない」と言う、そんな子だった。

内気だったからではない。自意識が、過剰に高かったのだと思う。
初めましての親戚に挨拶する私を大人たちがニヤニヤ笑いながら見ていたり、アイスを自分で貰ってくる私を大人たちが「成長したなぁ」と笑顔で言ったりしてくるのが、容易に想像できて、拒否感が強かったのだ。

大人の顔色を窺ったり、空気を読んだりすることが、得意な性質で、いわゆる「感受性豊かな子」とか「繊細な子」とかに分類される子だったんだと思う。環境がそうしたのか、産まれもってのものなのかは、分からないけれど。

そうして、卑屈で内に篭りがちな、頭の固い、ちっとも可愛げのない私は思春期を迎えた。

その頃、家庭内は荒れに荒れていた。
一足早く、いい子街道を外れた兄が、親や家具や家に当たり散らして、家庭内暴力を振るっていたからだ。

いい子街道まっしぐら!だった兄は、最初の就職先で2人の先輩の板挟みになり、どちらの先輩にも良い顔をしようとして、成立せず、心を病んで退職し、引きこもりになった。

引きこもりのくせに車が好きで、スポーツ系の中古車を購入しては、事故を起こして廃車にしていた。

その上、何に使ったのか知らないが、数百万単位の借金をしょっちゅう作っていて、消費者金融の取り立てのハガキや電話が掛かってきていた。どうにも雲行きが怪しくなると、母がどこからか工面してきて清算する、ということを何度も繰り返していた。

兄は問い詰められたりして、都合が悪くなると、よくトイレに鍵をかけて閉じこもった。トイレの壁には大きな穴がいくつも空いた。

両親は、親戚やご近所に悟られまいと、世間から隠すことに必死で、兄の心のケアには気が及んでいないようだった。

私は、兄の鬱憤の吐口になった。
エアガンで撃たれたり、殴られたり、蹴られたり、罵られたり、下着を剥ぎ取られそうになったり、私が入浴している風呂に押し入ろうとしてきたり。
一時たりとも、心は休まらなかった。

―――補足―――
兄との性交渉はない、と思う。曖昧な表現で申し訳ないが、私の記憶は断片的で断言が出来ない。ただもっと前、トイトレ完了期にも、兄にいたずらされていた記憶がある(散歩の最中に尿意を訴えたら「おにいちゃんが、押さえててあげる」と言って触られたり)ので、ずっと前から兄は「いい子」でいることのストレスがあったのだろうと思う。私の貞操の真相は不明だけれど、私は無かった、と信じている。
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ちなみに、きょうだいからの性暴力について調べたことがあるが、意外にもきょうだいからの性被害というのは、珍しいことではないらしい。大人が幼児に対して抱く性的関心よりも、ちょうど性に興味を抱く頃に手近にいる年の近い異性が犠牲になる、ということの方が有りそうではある。年頃の兄妹、姉弟のいらっしゃるご家庭は、「ウチには関係ない」と思わずに、気を付けてあげて欲しい。マンガやドラマの中だけの話では、決してないので。
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その頃の私は、兄の問題行動を両親に告げ口しなかった。

仕返しが怖かったわけではなく。両親を悲しませたくないという高尚な理由でもなくて、単に「助けを求めること」が面倒だったのだ。

両親を頼りには思えなかった。
ちょっと前にイジメにあっていた私が母に「死にたい」と溢したら「じゃぁ死ねばいい!今死ね!」と罵られた件もあった。
心のどこかで、いい子だった兄への信頼を捨てきれない母と、事なかれ主義の父が、私を助けてくれるとは思えなかったのだ。

両親の目を避けて、深夜に自室から降りてきて、ひっそりと食事を摂る兄のことを、両親は「ゴキブリ」と呼んでいた。

そして、私は更に『聞き分けのいい子』を演じ続けることを選択する。

第二次反抗期真っ最中に。

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