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バーテンダーをクビにしてもらった話

 先日まで数週間ある新規開店のバーに誘われ、オープニングスタッフとして開店準備から開店後少しの期間まで働いていた。

だが辞めた。


 理由は色々あるが、最も大きいのは「俺には本当に向いていない」ということだ。そのバーの営業時間は、午後9時開店で午前5時までだ。俺はもともと不眠症なので夜中に眠れないのが10年以上前からの悩みの種だった。だから文字通りの徹夜でも、それが仕事となり生活する糧となるのであれば悪くないだろうと考えていた。甘かった。

 プレオープンの3日間は基本的に招待された客しか入店できないので、基本的に部外者は俺だけだと言ってよかった。だが盛況に終わった1日目だったが、2日目だ。友人数人とお祝いで花と差し入れの酒を持ってきてくれた客が店内で人を殴り、乱闘騒ぎになりかけた。おそらくは友人数人で来たのはその暴れた客の酒癖を知っていて、どうなるかはだいたい予想していたということなのだ。2日目でこれである。

 通常営業が始まると、また別の問題が起こり始める。オーナーはこのバーがある歓楽街のラウンジやスナックのお姉さん方が自分たちの勤務先が営業終了した後に寄って飲んでいける店といったコンセプトでこのバーを開いた。開店前にそういった簡単な説明は受けていた。従業員は俺を入れて3人、バーなどで勤務経験があり、カクテルの作り方なども知っているというのはひとりだけだ。つまり女性は最初から店にいない。なので、そういったお姉さん方が常連になってくれれば、彼女たちを雇わずとも一通り飲み歩いた男たちが来店するようになるという算段だ。だが俺は愛想がないし、雇ってもらう際に「蛇行君は基本的に裏方としてふたりが動けるように厨房からバックアップして下さい」という話で受けていた。だから開店前に掃除をし、買い出しに行き、洗い物をし、つまみを小皿に盛り付け、10Lの樽が空になればまだやっている酒の問屋に配達してもらった。だが、その経験者である我々の中で一番若い青年に、数日間数時間に渡って難癖を付け絡みに来る男の客がいた。残るふたりは素人で研修でどこかのバーなどで働いてもいない未経験者だ。メニューについての色々な注文を聞きながらメニュー表や料金表を作ったのは俺だが、まだ作り方が分からないカクテルなどもある。その経験者が数時間拘束されると様々な不都合が発生する。しかも彼はその客と顔見知りで、しかも客は年上である。あまり無下に扱い緊急避難することもできない。

そしてその客も暴れ、酒瓶を投げ付け、投げた酒瓶とガラス製の棚とそこに載っていた酒瓶を何本も割った。

 そして問題はまだあった。ひとつは俺の女性問題である。俺はアラフォーの今に至るまで年齢=彼女いない歴のナチュラルボーン童貞中年だ。その中年が夜のお仕事をなさっているお姉さん方の接客をしなければならない場面は、長時間ではないにせよ毎日必ず発生する。それは必然的なことだ。無論彼女たちが好みそうな話題は何となく想像は付いても、そういった知識もないし、どうにかこうにか話に相槌を打ち、曖昧に笑うしかない。そこで俺に武器が渡された。マイクだ。

 カラオケ解禁である。俺は全くの趣味で曲を作り自分で歌いたまに呼ばれたらステージに上がる。それを知る俺に声をかけてくれた3人目の店員が「おい蛇行ちゃん、お前歌っていいよ」と助け船を出してくれた。俺の作った曲をやるわけにはいかないし、俺でも洋楽は受けが悪そうだということは予想できる。そこでコードが簡単でギターでもできるしどのパートも歌詞を覚えている「今夜はブギー・バック」を全力で踊り狂いながら歌った。ちなみにこれは小沢健二がメインの方だが、実際にやったのはスチャダラパーのラップパートが長く入っている方だ。

 これは意外と好評で、お姉さん方は結構喜んでくれ、携帯で撮った動画が彼女たちの連絡網的なLINEか何かにアップされて、数人の新規のお姉さん方が俺のカラオケを聴きに、というか見に来てくれた。それは割と嬉しいことではあった。だが問題もあった。俺は毎晩これを歌うことによってこの曲が嫌いになり始めていた。そしてそれは非常に悪い兆候なのだ。そして最もつらかったのが同僚たちの接客時の話題である。俺以外はふたりとも前科があり、どういった悪さをしたかというのをさも楽しい話題のように話すのだ。確かにそういった話は普通に生活している分にはニュースくらいでしか見聞きしない。でもどこまでが本当かは分からないし、確かめようとも思えなかったが、様々な新事実が出てくるのだ。俺はこのままでは絶対にヤバいと思った。今はお姉さん方も来てくれているが、このままだとそのお姉さん方を目当てに来てくれる男の客も絶対「そういった感じの方々ばかりになってしまう」と思った。そして、そういった方々の社交場になってしまったら何か「よろしくないこと」が起こるであろうことは明白だ。それはいつ起こるかの違いしかなく、必ず起こる。

 だから一生懸命彼らにその危険性を説いたが、あまり効果はなかった。だからクビにしてもらった。結果的には誘ってくれた彼をひどく落胆させ失望させてしまった。でも俺にはもうやっていける自信もなかった。

 そして今に至る。俺は今無職で、インフルエンザじゃないのかこれ?という体調不良で4日間ほど寝込んでいる。だからこうしてものすごく久しぶりに記事を書くことができている。なかなかうまくいかないものだ。

 最後に、色々書いたが俺が辞めた本当の理由はひとつだ。それをこっそり教えよう。店内には窓が3つあり、俺が普段いた厨房のような場所にもその窓のひとつがある。俺がクビにしてもらったその日、いつものように窓の方に目をやり、天気を確認しようと思った。誰かの頭頂部が窓の外に見えた。店は5階にあるのに。ここは最上階のはずなんだ。

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