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ロングシュートの話

 考えてみて欲しい。起き上がり、何とか支度をしてキャンパスまで行く。講義前に着席してどうにか肩で息をしていたんだ。今考えると確かにこれでまともに受講なんかできるはずもなかった。


 俺が入院したのはなぜか精神病棟だった。おそらくは偶然でもないし、しばらく考えれば理由が見当たりそうだが、それについては光が地球を7周半するまでの時間でさえも考えたくない。俺は正常だ

 まずは手荷物検査があった。事前に聞かされてはいたが、ウォークマンのイヤフォンも、寝間着のパーカーの紐も、スウェットのウエストの紐も全て没収された。どうにかウォークマンとイヤフォンだけは許してもらった。これからが本番だ。

 当たり前ではあるが色々な種類の方がいた。ある人は俺より後に入ってきたが、数日間ひたすら病棟内を歩き続け、最終的に処置室で楽しそうに壁とおしゃべりをしていた。ある人は外出許可を取り、外泊から帰ったら翌朝に妊娠していた。俺は「何なのここ?」となった。

 俺は誰でも借りられる蔵書のある棚を一番上から下まで全て見たが、ほとんどがクソだった。数冊は文庫本を持ち込んでいたが、すぐに読んでしまい、読めそうなものはその本棚の中のゴルゴ13しかなさそうだった。

 そして俺は生まれて初めて短編を自分で書いた。もし俺に創作の原点などという大仰なものがあるとすれば、全てあの場所で始まった。


 何しろ夜9時あたりにはウォークマンも看護師さんに回収されてしまい、とても長い無音の夜が俺を苛む。携帯電話も許可をもらわなければ使わせてもらえないし、日中はどうにかそれで文字変換して辞書の代わりにできても毎晩回収されてしまう。隣のベッドの人は全く意味は分からないけど全て完璧に聞き取れる寝言を一晩中言っていた。俺が逃げ込めるのは「マルコヴィッチの穴」だけだ、そしてそれを誤字脱字だらけの汚い文字で一晩中書き殴りどうにか夜を越えた。

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