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あるやかましい夜の話

 俺は当時重さ約10kg以上のウッドベースを抱えながら毎週末あちこちへと移動していた。電車移動が主だとしても、こんな体積が軽く幼児くらいありそうなものを持って移動するのはそこそこキツい。


 ちなみに俺はこのジャズ研に入部してからまだ3カ月も経っていないし、五線譜とそこに書かれた音符さえまともに読めない全くの素人だ。我々の活動はけっこうなストロングスタイルだった。

 いわゆるコンボ編成(数本のホーン、あるいはギター、鍵盤、ドラム、そしてウッドベース)という形式で毎週のようにステージに上がっていた。俺以外はほぼ楽器未経験者ではないにせよ、ほぼ全員ジャズをやったことがない。俺なんか数か月前まで自分の意志で楽器を触ったことさえないのだ。だが我々はほとんど毎週末ステージに上がった。あるアルトサックスの女子などは完璧に仕上げたはずの、あるプレイヤーのソロのコピーがステージで真っ白になってしまい、急遽バックのリズム隊(だいたいはピアノ、ベース、ドラム)で8小節ほどのバースを回し、どうにかこうにかテーマの頭まで誘導したこともあった。

 あまりジャズを聴かない人のために簡単に説明しておこう。最初に演奏されるのはテーマであり、これはとてもとても大切だ。ストレッチでもあり、全てが帰らなければいけない場所の提示だ。もしここに帰って来られないのであれば、その演奏は崩壊している。

 それが終わるとインプロビゼーション、簡単に言えばアドリブが始まる。これはだいたいの場合は事前に各々がどれくらいの長さやるかということが決められてはいるが、場合によってはこれさえも崩れたりもする。そしてこれも全て基本的には元のテーマの定められたコード上でしかできない。

ある意味ではプロレスだ。でも技を受けたら技を返すのがプロレスだ。ステージで起きているのはそういうことなのだ。

 そして各パートがテーマの長さのアドリブを終えると小節交換が始まる。基本的にはジャズは偶数の小節数でテーマが作曲されている。ここは下手をすれば各パートが事前に決めた長さのアドリブよりも熱い演奏をする可能性もあるところで、小節数を合わせるために妙な場所からドラムにわざと長い小節数を任せてソロで暴れさせたりもする。偏屈なドラマーなどは「裏の裏の裏の裏の裏の…どこでテーマに戻ればいいんだ?」という意地悪な叩き方もするが、ある意味では最もスリリングであり、一番楽しい部分とも言える。だから我々のサークル活動においては、担当ドラマーが「ムリ」と言えば必死に別の曲を探した。何しろドラマーという生き物はオスの三毛猫かと思うほどに生息数が少ないのだ。

 そんなこんなで今まで色々な楽器に触れてきた面々と、ロクに五線譜も読めないクソベースはどうにかステージを降り、ちょっと愚痴や弱音を吐きながら帰路へ着く。だが来週もステージは俺たちを待っている。

 これはそんな話。

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