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論文解説:新しい機序の感染増強抗体

さて、今回は以前少し触れた阪大の論文から、今までの機序とは異なる感染増強抗体について学んでいこう。論文としてはCellに掲載された「An infectivity-enhancing site on the SARS-CoV-2 spike protein targeted by antibodies」である。この論文は一般向けの記事でも一時期話題になったため、新型コロナウイルスのADEと言えば、この論文の内容が全てと勘違いされている事も多いが、あくまで「一つの新しい機序」として報告されたというだけで、以前の記事で触れた様な基本的な機序によるADEを無視していいという事ではない。逆に言えば、この論文で示されている「感染増強抗体」が無ければADEについて安心という事では全くない。

それでは、この論文の主張である「感染増強抗体」とは何を指しているのだろうか。まず大前提として、新型コロナウイルスに対する標的として重要なものに「スパイクタンパク質(Sタンパク質)」がある。このSタンパク質が感染の標的となる細胞の対応する受容体(新型コロナウイルスの場合はACE2など)に結合して、ウイルスが細胞内に侵入する。この辺りの機序は以前述べた通りだ。そして、Sタンパク質の内、その受容体に結合する部分を「RBD:Receotir binding domain」と呼ぶ。そこで、患者由来の抗体がSタンパク質のどの部位を認識するのか、という実験と、その抗体がSタンパク質に結合した状態で、受容体であるACE2にどのくらい強く結合できるのか、という実験を行っている。その結果、RBDに結合する抗体は概ねSタンパク質とACE2の結合を弱くすることになる(つまり本来の抗体の役割である、感染防御効果に近いものを示唆する)のだが、RBD以外の部位でNTD(N末端領域)という部分に結合する抗体の内、いくつかは逆に抗体が結合する事でSタンパク質とACE2の結合を強くしてしまう(つまり抗体がある方が感染力が強くなることを示唆する)ことが明らかとなった。そこで彼らはこの抗体を「感染増強抗体」と呼ぶことにしたのだ。

この感染増強抗体は、中和抗体の効果をも減弱させることが判明した。つまり、感染増強抗体が産生されると、中和抗体の効きが悪くなるという事だ。また、In vitroの感染模倣実験では、感染増強抗体が実際に新型コロナウイルスのヒト細胞への感染性を増加させることも明らかになっている。加えて、今回の感染増強抗体による感染性の増加には先に述べた様なFc受容体は関与していないことも確かめられており、新たなメカニズムが存在するという事で新しい知見として扱われたのだ。

少し細かい話になるが、その新しい機序についても触れておこう。「タンパク質の結合」というイベントには、そのタンパク質の立体構造が重要な意味を持っている。事実として、ACE2はSタンパク質のRBDが開いた構造を取ると結合しやすくなり、感染性が高まる事も知られている。そこで、開いたRBDに特異的な抗体を用いて感染増強抗体の影響を解析したところ、抗体がNTDの特定の部位に結合するとSタンパク質のRBDが開いた構造を取り、ACE2と結合しやすくなるというメカニズムが明らかとなった。要するに、Sタンパク質の特定の部位に対して抗体が結合すると、Sタンパク質の立体構造が変化し、場合によってはACE2への結合力が高くなって感染力が上がる、という新規の機序が示されたという事だ。

ただし繰り返しになるが、この機序はあくまで、「一つの新しい機序」に過ぎず、それ故に注目されたからと言って、これが全てだと考えてはいけないという事だ。一般的なコロナウイルス属におけるADEリスクは常に考慮しなければならない。


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