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セミリンガル問題に対する考え


幼児期に英語をやるべきかどうか、幼少期に多言語をやるとセミリンガル(どの言語も中途半端にしか話せない現象)になる可能性があると、かねてから指摘されていました。

ここからは論文などの根拠があるわけではないのですが、トリリンガルである私自身の感覚と、自分の学生時代の友人がマルチリンガルが多かったため、話を聞いて得た感想ですので、あくまでもご参考程度にお願いします。

私が思うに、セミリンガルになるかどうかというのは、1番得意な言語において、どれだけ抽象的に思考能力が得られているかによると思っています。

日本語しか話せない方でも、抽象的思考能力があまり高くなく、抽象的概念を十分に獲得できてなく、また論理的思考力が伴われていない場合、日本語においても語彙の獲得が難しくなります。

一方でスイスなどの欧州諸国では、国内公用語が四言語あるため、生まれながらにして誰もがマルチリンガルな環境で育つ国もあるし、日本でも外国にルーツを持つ子供たちは親と親の母国語を話していながら、友達とは日本語で会話するのを本当に幼少期からやってのける子も沢山います。

その子達が皆んなセミリンガルになるのでしょうか?

私はそうは思いません。

前述の通り、ある言語が表現と思考の辺縁をどこまで拡張できるかが問題であり、一つでもそのレベルに達することができる言語をもっていれば、それは他の言語でも自動的に同レベルまでひきあげられると私は考えます。

わかりやすくいうと、日本語で「ツァラトゥストラはかく語りき」を読めて意味を理解できるのであれば、英語も中国語もロシア語も同じレベルに到達できるポテンシャルを持っています。語彙があるかどうかだけの問題です。

そのレベルに到達できるかどうかは、幼少期に日本語しか入れてないか、またはマルチランゲージを入れたかどうか関係なく、成長するにつれて年齢にあった概念獲得をする作業をしたかどうかによると思っています。つまりどれぐらい本を読んだか、文化的なものに触れたか、知的負荷を自分にかけたか、によるのではないかと思っています。

トータルの言語キャパシティが予め決まっていて、言語が増えればゼロサムゲームになるわけではなく、あくまでも1番できる言語に全ての言語が引っ張られるのではないか、と私は考えます。

幼少期に1カ国語だけか、複数言語入れるかによらず、その後その子がどれだけ抽象的概念のや論理的思考力などの獲得に努めたか(もちろん親や周りの手助けも必要でしょう)、によって、セミリンガルになるか、マルチリンガルになるか、が変わると私は信じてます。

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