全身小説家

最近、井上荒野さんが「あちらにいる鬼」という作品を書いた。父親の井上光晴と瀬戸内寂聴をモデルにした小説らしい。

恥ずかしながらつい最近まで、井上荒野さんが井上光晴の娘さんであることさえ知らず、お二人の作品をひとつも読んだことがなかった。

それなのにどうして名前を知っているのかというと、25年前に観た映画の故である。作家、井上光晴は知らなかったのに、ちょっとしたきっかけから観に行った映画は「面白い」とは思わなかったが、「なんなんだ、これは」と思わされるものだった。

当時フリーペーパーに書いた感想が残ってたので、あげてみる。めっちゃマイナーな映画のように書いてるけど、今調べたらたいそうな受賞歴だった。そしてDVDも出てた。買った。「あちらにいる鬼」も買お。

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 多分誰も聞いたことは無いのではなかろうか。ふだん観るような映画とは違って大々的に宣伝している訳ではなく、上映している映画館も百貨店の中にある小さな映画館だ。私がこの映画を知ったのもほんの偶然からだった。
 ある医学雑誌を読んでいた時のこと。『全身小説家』という題名の二ページの評論が目に入った。それは井上光晴という作家の記録である。彼が癌に侵されてから、闘病し亡くなるまでの姿を描き、その中に彼の生い立ちを織りまぜていく。監督は七年前『ゆきゆきて神軍』というドキュメンタリー映画を撮った原一男。
常に社会の矛盾にまっこうから切り込む作品を発表してきた作家の口調は、あくまでも厳しく激しくそして温かい。激務ともいえる創作活動のなか文学伝習所を主宰する彼は、多くの人との交流を通して自分の文学にかける情熱を熱く語る。
「小説の中に悲劇は幾つも要らない。悲劇は一つあればいいんだ」
「小説を甘く見てはいけない。納得いくまで書き直すんだ。妥協した作品なんか読みたくもない」
「自分のやりたいことをやればいいんだよ、全部やんなさい」
蓬髪を更に振り乱して力説する彼の姿を見ると、彼の小説は命を削って書かれているのではないかとさえ思わされる。伝習所をやっていることで、彼の創作時間は確実に削られる。しかし、それによって彼の文学を受け継ぐ人が一人でも二人でも出れば良い、と彼は言う。
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 そんな彼が癌にかかる。結腸癌である。医師からの告知を受けた彼は病状や治療法をあれこれと尋ね、手術を受けることを決意。しかし手術を受けてから一年後に、肝臓に転移していることが判り、再び大手術を受ける。麻酔から縫合までを克明に映した手術シーンが生々しい。再度の手術にも拘わらず更に一年後、今度は肺に転移。手術は不可能と診断される。病状の詳細な説明を受けた彼は抗ガン剤を使った自宅療法を選ぶ。死を宣告された彼はあくまでも冷静である。
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 こういった闘病の様子を映す一方で、彼の経歴の嘘を次々と暴き出していく。満州で生まれ父親と生き別れたとか、取り残された母と日本へ戻り九州の炭坑でいかさま霊媒師のようなことをしていたとか、大阪の高校へ行って離ればなれになった筈の初恋の少女が、実は近所の女朗宿に身売りしていたとか。要するに自分自身の経歴を虚構化して人に話していたのである。それが彼に関わった様々な人の口を通して次第に明らかにされていく。しかしそれでも彼を想う人たちの気持ちは変わらない。むしろ彼の人間臭さを露呈し、魅力を増している。
 なぜ彼は自分の経歴を偽る必要があったのだろうか。彼自身が自分の経歴をとくとくと語るシーンがある。
「真実というものはそのまま認識できないんだよ。過去から現在までの時間の流れがこうあったらねえ、その中からAとBとCをとってくる。これはすべてホントのことですよ。これとは別にXとYとZをとってくる。これもすべて真実なんだよ。ところがA-B-CとX-Y-Zとでは全然違ってくる。そして誰だって自分の恥ずかしいことや知られたくないことは言わないから、真実の中から引っ張り出してきた経歴でも、もはや虚構でしかないんだよ」
彼は決して自分を恰好良く見せるために嘘を付いていた訳ではないだろう。本当の経歴を正確に認識できない以上、なまじ事実から創った〝真実〟の経歴で自分を美化してしまうよりは、初めから虚構で綴った経歴で、本当の〝真実〟は薮の中だと言いたかったのではなかったのではなかろうか。
そしてこういった細やかな気遣いや、それとは全く逆に同一人物とは思えないほどの身勝手で頑固な面をも惜しげもなく見せつける彼の人間性、彼の言葉を借りれば「やりたいことをすべてやる」人間性が、彼に関わった人の多くをことごとく魅了したのだろう。
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 「僕は死を見つめるような作品は書かないよ。そういう暇があったら嘘八百の短編でも書きたい」
死の宣告を受けてなおそう言う彼にとって、小説家とは単にひとつの職業を表すだけではなく、人間そのものを形容する言葉だったのだろう。作品としての小説を書くだけではなく自分自身の実生活でさえも小説を演ずる、文字どおり全身で小説家をしていたのだ。彼にとってはまさに彼の人生が原稿用紙そのものであり、彼の経歴こそが最大最高の作品だったのだろう。

註)文中の台詞は記憶を頼りにしたもので不正確なものもあります。

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