はじめた理由。
取り敢えず、自己紹介。高校生、男です。一応高校に通っていて人並みには高校生してるつもりです。若干自己完結型ニヒリズム(勝手にそう呼んでいる)に陥り気味。基本ネガティブ(理由後述)。
太陽がこれでもかと言うほどに照りつけてきてる今日この頃。暑いのは慣れているけれど好きにはなれない。そもそも好きになってるものなんかあまりないのかもしれないけれど。
なんとなく過ごしてきた、としか言えない自分のつまらない人生の虚しさを、テレビのニュースを見ながら痛感する。同じ日本に住んでいても大変な事件に遭ったり、災害に巻き込まれてしまった人もいるのに自分は一体何をしているのだろうかと、自己否定をしがち。それに慣れつつある日常の中、偶々()見かけた名仁川るい氏のnoteのノートを読んだ。全然自分とは違うタイプの人間っていうのはよくわかっていた(ハズな)のだが、何故か共感した。何故だか分からないけどその綴ってあった内容がとても魅力的に見えた。そしたら自分もはじめよう、って思った。はじめた理由というよりもきっかけ、の方が近いかもしれないのだけれど感覚的にそれは違うっていうのが分かる。それは今後考えていきたいとも思ってるけど。
そして僕が書くノートがなぜネガティブになりがちになると予想されるかというと、個人的にここでは僕のネガティブな心境を吐き出していきたいから、その一言に尽きる。酷く狡い話ではあるけれど、人間は負の感情を溜め続けるのは良くない、と最近子供ながらに思いはじめた。だから勝手ながらもここに吐き出していこうと思う。
では最後にユーザーネームの由来について。
普段、僕は周りに(自分の中では)気を遣いながら過ごしている。一人前の人間として振る舞うために。でもそれはただ“振舞ってる”だけ。“一人前の人間”っていう誰かも知れない僕の中の「大人」という、ある種の偶像を自己の中に生み出してそれに倣っているだけ。真似ているだけ。だから、擬態になった。言うなれば生存本能なのだと思う。句点の意味は特にはない。強いて言うならば「擬態」、よりも「擬態。」の方がマイルドになる感じが(自分の中では)するからだろうか。
因みに、僕と自分は自分なりに使い分けているつもりです。"僕"は自分が語り出すとき。"自分 "は僕という人間について語るとき。こんな感じです。今師事している現文の先生風に言えば自己の二重化という感じです。
クソポエマーみたいだけれども、その為に始めたとも言えるのでこれからも(不定期だけれども)クソポエマーしていきたいと思います。
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