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20240624|本を読むのが怖い

私は文字を読むのが苦手で、それは疲れていると目が滑る、というような感覚ではなく、私の場合はおおよそ四角形に象られているインクのシミを眺めている、というような感覚だったのだが、最近本を読み始めた。

私はそれまで小説を読み切れたことがほとんど無かったのだが、友達が朗読をしてくれたことがきっかけで、文字を声に出して読めば内容が言語情報として頭に入ってくることが分かった。最近はオーディブルで悪童日記を、家にある本から村上龍の映画小説集を読むなどした。

本はずっと読みたいと思っていた。本を読んだ方がいい、と何度言われたか分からない。本読まないと認知されている状態でも、私は本を貰う機会は多かった。そこに何かがあるということは分かっていた。

悪童日記や映画小説集の中身を知り、他の本も読みたい思ったと同時に、なにかこう、不安感というか絶望感というか後悔というか、本を読みたいというポジティブな気持ちと共に不快に近いような、言葉にできない感覚があった。

それが今やっと言葉として出力できるようになったのでこのnoteを描き始めたのかもしれない。

ある程度の文字数を認識できるようになってきてから、知らない人の日記、雑学・ライフハック、愛について、性について、など色んなnoteを眺めていた。

するとそこに、わたしが何年も考えていたことが、簡潔に、簡単に、分かりやすく、箇条書きで、並んでいたりする。

わたしが今を犠牲にして過去で頭をいっぱいにしていた時、私以外の人間は、検索して、アクセスして、読む、という手順で腹落ちできる情報を手に入れていたのだと考えると、喉が詰まる。

徹夜でテスト勉強をし、登校中の電車で暗記物を対策し、脳内で復唱しながらテスト開始の合図を聞き、危機感の感じ取れない他人の机を見ると、教科書が目に入る。ああ、今回のテスト、教科書持ち込みOKだったんだ、へえ、ふうん、知らなかったや、はははははは、はは。

みたいな。

ああ、みんな、だから本を勧めてくれていたんだね。

本を読み始めた時のあの喉のつまりの正体、わかった。

私だけ知らなくて、恥ずかしくて、怖くて、悔しくて、見たくなかったんだ。




これから私は、文字の中に、答えがあったりなかったりすることを、楽しんでいきたいよ。

ありがとうね、まりこ。

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