【散文】心の出血

読んでいる物語の味がしなくなったから、ページを破る前にすぐ閉じる。そうして現実の音が戻る。匂いが戻る。


命の底からふつふつ湧き上がる言葉たちを、私はどうしてもすくってしまう。それらは、そこらへんの言葉と同じはずなのに。

例えばとぼとぼ歩いていて、黒い気持ちを押し付けるように路上の石ころを蹴るとする。それは何でもよかったはずだけど、蹴り始めたら何だか旧知の友のような、古びたお守りのような、愛着と信頼をその石ころに覚え始める。私が蹴ると、石は前に進む。私の行きたい先に石はいる。どうでもよかったはずなのに、どうにも見捨てられなくなってしまった。

それでもきっと飽きて、蹴るのを止めてしまうんだろうな。蹴るのを止めてしまったら、その石はただの石になるんだろうな。とぼとぼ歩かなかったら目にも入らなかった、ただの無表情な背景に帰るんだろうな。

命の底からふつふつ湧き上がる言葉たちだって同じだろう。だいじだいじに思うから、目を凝らしてすくってこういう風に飾るんだろうな。私がだいじに思うから、お化粧だってさせるし歩き方だって教える。私がだいじに思うから、足元だって照らすし離ればなれを準備する。私がだいじにしているから、健やかに眠れるように、独りで生きられるように、立派な姿にしてあげる。

どこか遠く、もしくは近くで、血を音もなく垂らす音が聞こえる。純粋な呪い、或いは怒りをせつなくこぼす。こんな暗闇のなか、自分とそれ以外の境目を失って、わけが分からなくなっている。

本当に命の味がする言葉に出会えたら。この言葉と同じくらい、心が出血したような悲痛さと気高さを備えた言葉に。出会っても、なにもしてあげられないけれど、違う中の同じだってことを知ってあげたい。そうすることが、出血の事実を認めることだって思うから。血の叫びをあげるほどの現実には何もしてあげられないけど、そうなるほどに生きたこと。間違いのような命でも、それでも最後まで輝きたがっていること。それらを慰めてあげたい、そんな思い。


無事に過ごせたらいいと思う。
悲しいことを笑って、楽しいことを夢見の情景に、子守唄のようなモードをいつまでも。
このイメージは、今ここにはない、儚く消えるシャボン玉の色合いにも似て。それらが見せる幻影。すなわち思い出。

心の出血は過去へと流れるのかもしれない。ふつふつと湧き上がる泡のような言葉を寄せ集め、寄せ集め、やっとそう思った。今を流れる現実の全てが心をするどく突き刺すとき、とくとく流れる血は過去へ向かう。安全だった過去へ向かう。自然の摂理と同じかのように流れていく。

過去に溜まった血溜まりが反映する景色の気高さ。傷が過去を鮮明に映し出す技法とまったく同じで、血溜まりに映し出される虹色。せつなく、せつなく、最期の狼の誰にも届かない遠吠えのように、今の悲惨を炙り出す。正しい方法で全てを呪う。


読んでいる物語の味がしなくなったから、ページを破る前にすぐ閉じる。そうして現実の音が戻る。匂いが戻る。


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