見出し画像

ナラティブ ヴァルネラビリティ ハンブル

益田先生と重松先生の対談が楽しかった。

ナラティブ、ヴァルネラビリティ、ハンブル

重松先生は日本人の血が入っていて、アメリカと日本についてそれぞれ研究している。

重松先生が取り出した英語はどれもあまり英語らしくない英語と思った。

ナラティブ

ナラティブメディスンと言っていたと思うが、ナラティブは調べると

「ナラティブ」とは、物事や出来事に対して、人々が自分の視点や経験を通じて語ることを指します。


客観主義ではない、自身の経験を通して語られて見えてくるものである。

ヴァルネラビリティ

脆弱性
脆弱性という言葉を聞いたのは心療内科の先生に話を聞いたときに出てきた言葉である。

以下のように力があるという側面を認めている。

「TED」で「The power of vulnerability(ザ・パワー・オブ・ヴァルネラビリティ)」というタイトルの講演がありました。この講演は研究者・作家のブレネー・ブラウンによって行われたもので、人々が「ヴァルネラビリティ」を認め、共有することがどのような力を与えるのかを説明しています。

なかなか強くなれない、いやむしろどんどん弱くなっていく。
この脆弱性に力があるとはどういうことか?

ハンブル

ハンブルは謙虚という意味
Humbleやhumanのように、最初のhumには土地という意味があり、またホモサピエンスのホモでもある。


とても興味深い。

重松先生の本スタンフォード大学 いのちと死の授業

https://amzn.asia/d/fdRpFRC

読んでみよう。

今の世の中で、どこか狂った世界の中で、改めて先祖の繋がりや縁や死について語る場所が必要なのだと思う。
それが何になるかはわからないし、何になるかを求めることではない。
ただそういうのがあることを受け入れる度量とか矛盾を受け入れる度量が必要だったり、
問題は解決するのではなく、問題のまま、その人らしく問題であり続けるということも大事なのではないかと思う。


次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。