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「聴す」と書いて「ゆるす」と読む

久々に「笑い飯哲夫のサタデー・ナイト仏教」ネタです。
【2024年6月1日放送】
真言宗須磨寺派 須磨寺 小池陽人さん

この回の<一分間のフリースタイル説法>が興味深かったので記事にしました。

(小池陽人さん)
仏教の本質は話すことと思っていましたが、本当は逆だそうで聴くことらしいです。
なぜかといえば、お釈迦様は「対機説法」という目の前の人、一人一人その人に合った導き方ができました。
なぜそんなことができたかというとお釈迦様は聴くことの天才だったそうです。
聴くことの天才なのでその方が何に困っているのか、何に苦しんでいるのかということがありありとわかりました。
だから導くことも出来ました。

「聴す」と書いて「ゆるす」と読むそうです。
聴くことの極意は「許す」ことだった。
人の話しをなかなか「許して聴く」ことができない。
人の話しを評価した時点で許せなくなって聴くことができない。
人の話しを最後まで聞くためには、人のことをを最後まできくことが大事だとを教わりました。

お釈迦様が対機説法を行っていたのは有名な話です。
「聴く」ということに「ゆるす」という意味が含まれているとは深いなと思います。
そもそも「許す」すとは、「認める」「受け入れる」という意味もあるようです。日常の会話でも「聴す」を意識していたいものです。

ちなみにこの読みは本当か?と思い調べましたが(すぐ疑ってしまう癖)、確かに「許す」と同義でした!


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