私は、世界のことを「好き」だろうか?

世界には、恵まれない人がいる。
何とも不公平である。

日本に住む私は、蛇口をひねればきれいな水が出て、コンビニに行けば温かいご飯が食べられる。1日あたりで換算すると、おおざっぱに1万円ぐらいの生活水準だろうか。

対して、世界の7億人、9.2%は一日1.9ドル(ざっと200円)以下の生活をしている(The World Bank 2017)

その環境を、境遇を、いかにすれば、私は納得するだろうか。

「好き」を私たちは求める。日々の生活で「好き」を希求する。
睡眠、食事、嗜好品、関係性、音楽・・・。

「好き」なものは、それに触れると、元気をもらえる(またはその逆を言うのかもしれない)。前向きな気分になったり、なにかをやろうという気持ちになったり、満たされた状態を感じる。

視点を変えてみよう。

例えば、私は、「世界」から元気をもらっている・・・だろうか。「世界」に触れることで、元気を得ているのだろうか。

これだけ、恵まれている私は、「世界」から元気をもらっているだろうか。

繰り返そう。

私は、「世界」を「好き」だろうか。

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今日は、EMSiカフェでテーマ「”好き”を分析しナイト」を行った。対話の中で得られた大きな気づきは、

「好き」は過去に根差し、「関心」は未来を志向する

ということであった。

りんごを食べたことがある人が、「りんご」を「好き」になれる。
りんごを食べたことがない人は、「わからない」か「嫌い」かだ(食わず嫌いはありえる)。

私は、「世界」を「好き」だろうか、という問いは、「過去に世界は私に何をくれたのだろうか」という問いに置き換わる。

物質的には、なんら問題もない。精神的にも、豊かに生きていたつもりだ。
しかし、なぜ、「好き」だろうか?という問いが刺さるのだろうか。

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「関心」
一方、関心に経験は必要な条件ではない。

りんごを食べたことがない人でも、りんごに「関心」を向けることはできる。どんな味がするだろう。どんな色なのだろう。どれぐらいの大きさなのだろう。「りんご」という説明を聞けば、そこに「関心」を向けることができる。

経験がなくても、「関心」は向けられる。
しかし、知らなければ、「関心」すら向けられない。

最低でも、「それを知らない」ということを「知らなければ」、「関心」は向けられない。

汝自身を知れ。無知の知。
ソクラテスに言われるまでもなく、世界は「関心」によって広がっていく。

私は、世界に「関心」は抱いている。それは間違いない。

世界に住む人がどうなるのか。
世界に生きる生命がどうなるのか。
自分の身の周りの範囲の半径3メートルの「世界」だとしても、「関心」を抱いている。

そうだ。世界のあり方にも「関心」がある。
どんな世界が望ましいのか。
そもそも「世界」とは何か。
「私」はどんな「世界」で成り立っているのか?

私は、「世界の何を知らないのか」という関心もある。

では、なぜ、その関心を持てるのだろうか?

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どれぐらいの人が世界に「関心」を抱いているだろうか。
世界から元気をもらっているだろうか。

どんな選択肢の中から、私たちは「関心」を選び取っているのだろうか。
または、選ばざるを得ないのか。

「世界」を「好き」だと言い切らないのに、「関心」はあるのは、なぜだろうか?
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ここで、対話の中で得た、もう一つの気づきを記しておきたい。

アンラーニングの第一歩とは、再関心をもつこと

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当たり前の世界から飛び出し、捉えなおし、成長していく過程で人は「アンラーニング(学びほぐし)」していく。

できているようで、実はできていなかったこと。
できていると思っていることで、弊害が生まれていたこと。
世界観が固定されていることを、捉えなおす。

例えるなら、いつも当たり前にやっている呼吸の仕方。日常の呼吸の仕方を皆さんは教わらずに覚えていたはず。しかし、本当に「吸って吐いて」が身体の構造に沿って無理なく行われているだろうか?肩がすぼまってないだろうか?口呼吸になっていないだろうか?胸が詰まって、力が入っていないだろうか?

当たり前にできていると思っている「呼吸」ですら、「関心」を払わなければ、学びなおしは起こらない。

「関心」とは文字通り「関わろうとする心」のこと。「呼吸との関わり方」を考えるときに、改めて自明の呼吸の仕方が見えてくる。変わってくる。

では、世界に「再関心」をもつときに、学びなおすのは、いったいなにか?
自明な世界とはなにか?

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問い続けよう。

私は、世界を「好き」だろうか。
世界は、私を「好き」だろうか。

世界を「好き」になれるだろうか。

この問いが、「関心」を向けなおすきっかけになるのだろう。


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