使う言葉を馴染ませて

なぜ、丁寧な言葉遣いをしたいのか。今日はそれをじっくりと分解してみた。

例えば、「それ、辛いよね」という言葉だけでカレーを表したとする。さて、だからなんなのか?

「それ、辛くて美味しいよね」なのか「辛くて美味しくない」のか「辛くて予想外」なのか。わからない。声の調子を変えればよい、というのも一理ある。だが、そういう言葉遣いだけしていると「自分の感性」もだんだんと鈍ってくる。

自分が美味しいと思っていっているのか?不味いと思っていっているのか?まあ、そこまで取り違えることはないとしても、「解像度」が変わってくる。

言葉は「検証」をつくる機能がひとつある。自分がどう感じたのかを、言葉にしてチューニングするのだ。だから、「えっと、何て言えばいいのかな・・・」という現象が起きる。あれは「言葉が出てこない」という場面もあれば、実は「感じたものに言葉をチューニングする」という意味合いがある。

言葉は世界を作る。また、世界認識を作る。「そのカレー、辛いよ」といわれれば、食べてなくても「そのカレー」は辛い世界が想定される。

そう。言葉遣いが丁寧にできるほど、世界は丁寧に解像度高く存在してくれるのど。

しかし、最近こうも実感している。

「言葉遣いは、そうそう変わらない」。

意識をして肯定的な言葉遣いをするように気をつけている。「ああ、そうだね(知ってる)」とか「え、そうなの(違うんじゃない)」ではなく、「そうなんだね、どんなだったの(相手にとってはどうだったのか、さらに知りたい)?」とか「え、そうなんだ!知らなかった(から、もっと知りたい)」という一歩つなげるコミュニケーションをしたいと思っている。

気を付ける前も相手のことをもっと知りたいとは思っていた。しかし、「自分の状況」に焦点をあてていたため、「既知のこと」「間違い」にたいしての反応になってしまい、そこから本当はもっと知りたいのに言葉遣いによってコミュニケーションを切っていた。

相手を含めた世界を、丁寧に扱っていなかったのだ。

と、気がついて変えようとしているのだが、これがなかなか難しい。反応体系は三十年も生きてればある程度固定されてしまっている。気を付けていても反応として出てしまうことが多い。

だからこそ、ゆっくりと、時間をかけて馴染ませていく必要があると思っている。それは、身体の変化だからだ。

例えば、1日で開脚ができるようになるわけでなく。幼児が歩き始めるときのように徐々に徐々に、そして丁寧に。

心がけていくのが大事だ。

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