脳みその欲求〜なぜやってもやっても満足しないのか〜

ああ、またやっちまった。

気持ち悪い。食べ過ぎた・・・。

原因は、2つ目の月見バーガーセット。

一つセットを食べ(ポテトと飲み物も当然Lサイズ)、てりやきの単品を食べ、それでもお腹が空いた・・・となって食べたセット。これは「脳みその欲求」の分であり、身体は全然喜んでいなかった。結果、腹が膨れて辛くなっている。

身体から欲する欲求と、脳みそだけ感じている嘘の欲求と2つの欲が大まかにあると思っている。大体、人間にトラブルをもたらすのは「脳みそだけの欲」である。身体は関係ないから、過剰になり、また、叶えても「空虚」であり、どれだけ叶えたとしても、なぜかいつもみたされない感覚しか残らない。やってもやっても、一瞬の幸福感はあっても、持続する幸せ感はない。

見分け方は?

欲を感じているときの見分けがかなり難しい。それができれは世界中でダイエットはもっと簡単に成功しているだろう。

ただ、結果を振り返ってみると、自分の欲求が「脳みそで叶えた」のか「身体で叶えた」のか見えてくる。この歳になると自分の行動を振り返っていかに「脳みそだけの欲求」だったかを痛感する。

備忘録としていくつかここにも書いておこう。

①その行為をするとき、ではなくその前段階を叶えた瞬間に満足している
ちょっとわかりにくいかもしれないけれど、冒頭のハンバーガーの例でいうと実は「2つ目のハンバーガーセットが注文された瞬間」に「満足感」が湧いてきた。他にも例えば「運動したい!がランニングシューズ買ったらなんだか満足していた」「旅行に行きたい!が友達誘っただけで正直満足してしまった」「SNSやるのにアカウント作って満足」など「〇〇がしたい!」の前段階に必要なことをするだけですっと欲求が引っ込むとき、たいていはウソの欲求であった。

②やけに「最高だ!」とか連発する
なにかをしたあとに、最高!よかった!しなきゃ損!人生変わった!みたいな美辞麗句をことさらに言うとき、大体「頭で生み出したものを満たしているとき」である。

最高!とか言ったあと、少なくとも3ヶ月とか1年とか長い目でみたときに結局は冷めている・忘れている・何が良かったのか記憶にないことはザラであり、ウソの事が多い。なぜなら言葉でくくることができるときは「頭」で考えられているから。

個人差はあるかもしれないが、最高!という感想を使ったときよりも「なんて言ったらいいか・・・」「言葉にできない・・・」って言っていたものの方が何ヶ月かあとに(下手すると何年かあとに)「そうだったのか!」となって、案外身体には残っていることが多い。

③理由をペラペラ話せる
②に近いが、やりたい理由をペラペラ話せるとき、心と身体両方でやりたいと思っているものではない。

嘘をつくとき人間は饒舌になるらしい。これは自分自身に対してもそうであろう、聞かれてもないことを勝手に理由としてしゃべったり、整合性がとれてないとき、まさにその「やりたい」はウソである。自分の感覚としては理由までしっかり話せるので、これが「ウソだった」ことが一番キツイ。

じゃあどうすれはいいのか?どうやったら自分の心の真ん中にいられるのか・・・?身体の欲求は「気づいたときにはやっている」が重要な示唆であろう。例えば、眠いとき。眠いことに理由をつけてから眠るだろうか?勝手にスイッチを切ったようにプツンと眠りに落ちていることはないだろうか?

大事なのは「非言語」であろう。さて、この「非言語」の領域の「身体の欲求」。どのようにふれていけばいいのか?

続きはまた今度にでも考えてみよう。今日はここまで。

購読者おまけ。

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