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ストリートスナップを撮る人間の一人として

僕自身は比較的消極的なストリートスナップを撮っている人間ですから、人を大写しにするようなことはほとんどありません。ですがもちろん人を写し込んだ写真はたくさんあります。

あくまでも僕の写真についての話です。

例えば僕の写真に"あなた"が写っていたとして、それは"あなた"を撮ろうとしたわけではなく、"あなたのような人々が息づいている街角の風景"を撮りたかったという思いがあります。街と人は、強く結びついています。街を表現したいと思えば、そこには必ず人が付いてきます。人が入っていない街の風景もよく撮りますが、それでもどこかで、無人のその風景の中に人の息吹や残り香のようなものをイメージしています。

こんな気持ちで撮ってます、だから怖がらないでほしい、だから許してほしいということではありません。撮る側の思いなんてこっちはわからないんだから、となるでしょう。そりゃそうですよね。

でも、だからこそこうして記しておこうと思うのです。僕はこれからも街でカメラをぶら下げて写真を撮りたいですから、そのために社会との折り合いを付ける努力をしたい。みなさんがわからないであろうことをわかってもらうための努力はすべきだと思うんです。撮りたいものを追い求めながらも、良識を持って、気をつけますと。素直に。

良識ばかりに捉われていたら、攻めてる写真が撮れないということもあるかもしれません。ですが僕がこう考えるのは、自分だけが自由に街で写真を撮れればいいという未来を望んでいないからです。

それともう一つ、ストリートスナップが悪であるという風潮になってしまったら、ただ写真が撮りづらなるだけではありません。ストリートスナップを見て、楽しむ人たちも減るということです。一般の人たちの多くがストリートスナップを見て嫌悪感を感じるようなことになってしまったら、悲しいです。このジャンルの素敵な写真をたくさん見てきましたから、ストリートスナップが愛される世の中でまだあってほしい。そこには写真を愛する人たちの中だけで閉じていては勿体無いほどの魅力があるはずなんです。そんな願いと祈りに近い思いがあります。

これは写真好きな人たちへの言葉ではありません。街に生きる"あなた"に向けて伝えたいことです。

気に入っていただけましたら。活動の糧にさせていただきます。