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貪欲を極めて無欲へ

芯にある考え方、信念は変わらなくとも、思考が次々と巡り、月単位で自分の内なる変化に気付かされ、身を任せて生きている。
だからこの今の考え方も数ヶ月、数年後には あの頃はそうだったなぁという程度かもしれないが、2021年2月時点の私の記録として、"貪欲を極めて無欲へ"のフェーズに入っていると感じている。
この考えについて少し書こうと思う。

貪欲を極めて無欲へ…

貪欲であることに変わりはない。
私にはやりたいことも叶えたい夢も沢山ある。
そんな中で去年感じていたものは"焦り"だった。
同年代の周りの人たちの中には毎日働いてちゃんと稼いでいたり、何かを成し遂げたり目標を達成していたり… そういう人たちを目にすると、
私は貪欲なのにこんなにのんびりしていていいのか?もっと頑張れよ!早く認められろよ!もっと焦れよ!
頭の中でそんな声が聞こえた。ただのんびりと過ごしている幸せな時間にも、(こんなことしてていいの?)と。

だけど今では、何も生み出さなくともただ幸せを感じている気分の良い時間ほど大切なものはないのではないか、と考えるようになった。
それはなぜか。
自分にとっての幸せがなんなのか、どんな時に幸せを感じるのか、自分の気分の整え方、それが分かっている状態ってすごく強い。
ひたすら頑張る。努力する。行動しまくる。
これも勿論何かを成し遂げるには当たり前に大切なこと。だけど、心の状態が整っていないままそれをしてしまうと、努力をしてる時はただつらい。そして達成しても、幸せの感じ方が分からない。
世の中の成功者やお金持ちの人にもこのタイプは結構いると思う。すごく大変な思いをしてここまで成し遂げてそして…今、幸せ?

成功したり有名になったり夢を叶えたり、それって勿論凄いことだけど、順序があるんじゃないかなぁと思う。まずは幸せを感じられる体質になること。
例えれば、準備体操。準備体操をしないでいきなり走り出したら怪我をしてしまう。
心のベースが整った上で頑張るのと、心が乱れた状態で頑張るのでは違うのではないか。

そう考えて、私はいま心のベースを整える、準備体操のような期間でも良いのではないかと思っている。
そんなに焦らなくても大丈夫。だってまだ完成してなくても、幸せはそこらじゅうに散らばっている。

生きる目的は目標を達成することでも夢を絶対叶えることでもない。
その過程を楽しむこと。幸せを感じること。
だから、自分を大切にしながら自分のペースで生きればいいんじゃないか。
貪欲であることには変わりない。
だけど、なんもなくても幸せ。
心の状態を優先した時、私は無欲になる。
最強の無欲の安らぎの上で、貪欲に生きる。

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