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現実感がなくなり感?

私は"離人症"という症状を持っている。

数ヶ月前、私の(密かにやっている)YouTubeで自分の離人症について話してみたところ、この動画だけ2千回以上再生され、コメントも沢山来ていた。コメントは共感や自分の症状を書いてくれた人が多く、マイナーだからこそ当事者たちの目に付きやすいのかもしれない。
たしかにこの症状について発信している人は少ない。正直話すのが苦手なのでこうやって文章としても発信してみようと思う。

離人症なんて知らない人がほとんどだろうし、私も数年前調べてみるまでまさか病気として存在するとは思ってもいなかった。
ただ、病気といっても私の場合はそこまで苦しんだり悩むことでもなく、ただ不思議な感覚を味わっているだけで、最近はもはやこの感覚に気持ち良ささえ覚えている。
私は覚えている限りだと小学生の頃からこの症状がある。家からバス停までの登校中、道を歩きながらふとこんなことを考えていた。
"私のことを考えている私、その私を考えている私、…" 私の無限ループ。"私"って、どこにあるの…?子供ながらそんなことを考え、地に足がついていないような、ふわふわした感覚を味わっていた。

次は中学生。軍隊のような厳しさのダンス部に入っていた頃、何度も修羅場を経験した。
部員で円になり、皆が感情を爆発させながら意見をぶつけ合う。泣き出したり逃げ出したり倒れたりする部員たち。そんなことが日常茶飯事であったのだが、正直その瞬間私は感情的になっていなかった。これは本当に今だから言える話。
そんな状況の中私はこんな感覚になっていた。
それはまるで映画を見ているように、その景色を外側から眺め、わあ、大変だねえ。なんて人ごとのように感じていた。その感情的な空気に全く入り込めず、遠くから眺めていて、現実感もなかった。
けれど映画みたいとはいえ空気を読まないと人権が終わりそうだったので、泣いているフリだってしていた。

そして大人になってからも、"映画を見ているような""身体と精神が分離しているような"感覚はわりと頻繁に味わうようになり、それが起こるときの特徴なども分かってきた。

まず、①天気が曇りの時に起こりやすい、ような気がする。曇りの日は鬱っぽくなるという人もいるようだし、似たようなものなのかもしれない。
②大勢の中にいるとき。飲み会や会議、大勢の人が会話をしたり楽しんだりしている空間。その中でよく、"この人たちって誰なんだろう"とふと思い、突然目の前の知人がまるで遠く感じて、存在しているのかすら分からなくなる。この感覚はなかなか気持ちが悪いもので、長く続くわけではないが、瞬間的に凄まじい孤独感を味わうことになる。
③そして、先ほど話したように感情がぶつかり合うような場面。客観的に景色を眺め、感情は湧き上がらない。
④幸せなとき。特に、少しお酒で酔っているときたまにあるのだが、酔ってふわふわした感覚になり、幸せだなぁと思いながら相手や景色を眺めているとき、目の前がまるで現実とは思えないような感覚になることがある。
⑤最後に、"離人症を意識しちゃったとき" 。普通に生活しているときにふと離人の存在を思い出してしまうと、あー、思い出しちゃった…と思いつつ、精神が離れていってしまうこともある。

YouTubeのコメント欄や他の方のブログなどをみていると、私は症状が軽いのかもしれない。
年中この感覚に陥り、つねに現実感が無く苦しんでいる人もいるようだ。
私は病院で診断を受けてはいないが、色々調べても完全な治療法も無いように感じる。

でも私は最近、この感覚と一生付き合っていくんでも良いなと思えるようになった。
ポジティブに考えてみたら、離人症の人って病気なんかじゃなくて、無意識にこの世の本質に触れられている特殊能力みたいなものなんじゃないか?とすら思えてきた。
ここからの考えは離人をよりポジティブに捉えてみた、完全に私個人の思想になるので共感を求める訳ではない。

よく陥る映画を見ているような感覚。他人事のようになる景色。それはある意味"自分の意識"にだけ支点を置いている状況。自分の意識以外の全ての物事はこの意識のためだけに用意された作り物のようだ。この意識って別の言葉で表すと"魂"のことなのかもしれない。
自分の肉体すら離れ、本来の魂だけの状態へ戻って自己対話しているのだろうか。
そしてこの景色全てが自分の魂のためだけに用意されたものだとしたら、今がどんな景色だとしても愛おしく感じられるような気がした。
例えば離人症が感じるこの現実が作り物に感じる感覚がこの世の真実だったとする。
この景色は作り物で、私たちは映画かゲームの中を生きているのかもしれない。だがもしそうだとしても何者か他人に操作されているわけではなく、自らその台本を作れるということはここまで生きてきたら分かることだ。この映画を見ている自分は監督である。主人公役の私の物語の主導権も監督にある。そう考えると、それでも悪くないなぁと思えてくる。

この不思議な症状とうまく生きていくには、いかにポジティブに捉えられるかが重要だと思う。
YouTubeのコメント欄に、同じ症状の人がいてとても安心しましたというものがいくつかあった。こんなマイナーな症状は、同じ悩みを持つ人の存在を知るだけでも少し心が楽になる。
自由に発信できる時代だからこそ、こうやって自分の体験を書いて少しでも情報を必要としている人に届いたらうれしい。

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