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本📚

古本屋さんにふらっと寄ってみた。
特に何かを買いに行くわけではないが,本屋さんや古本屋さん,図書館に立ち寄ってみるのが好きである。
静かだから,面白いものがたくさん置いてあるから,居心地が良いから(でも,古本屋さんに行くと毎回お腹が痛くなる…)。
立ち寄る理由は色々あるけれど,本がたくさんある場所に行って毎回毎回思うことは,
先人たちの知恵で溢れかえっているこの場所は価値があるな,と。

そして,自分の経験や研究結果,そこからの知見など,誰かのためにと思って始めたことでなくても,結果的に誰かのためになっていることは誰でも多くあるのではないか。それを残したい。
偉人や有名な人が書いた文章である必要はない。ひとりひとり知覚しているものは異なるし,経験値も持っている信念も異なるからこそ,
何をみて,何を考察したのか,を活字でやり取りできる場所は素敵だ。

活字の価値を実感する機会が多いものの,私自身ずっとずっと,発信するということを躊躇っていた。
「なぜなのか」が自分の中で納得するまで行動にすることができない,いや,行動しないと決めつけていた。最近やっと全てではないけれど,納得できるようになって,これまで色々と考えていたことがつながりつつある。これは簡単な作業ではなく少し苦しいけれど,
「発信をしない」という選択肢が自分の人生では楽しくない道にまっしぐらだったので,それを止めたいと思う。
それと同時に,最近色々なものをみるたびに,つくりたい,書きたいが強くなったので書いてみる。

みること,きくこと,ふれることが好きな私は,「自分に入ってくる量」と「それを表現することの量」が伴っていない。
簡単にいうと,インプットとアウトプットがアンバランスである。
普段から,何かをアウトプットしようとするとどこか詰まるところがあって,特に話すとなると詰まってしまって涙が溢れてしまう。
誰かに評価されていることが怖いというわけでもなく,何か原体験があったわけでもない。話始めるまでにも時間がかかり,その沈黙の時間が居づらいというわけではない。誰かの話し始める速度に負けて,悔しがっているわけでもない。
多くをキャッチして一生懸命頭の中で組み立てているのに,その結果が遅すぎてアピールできないという自分に対する悔しさが涙になっている気がする。速度を早めようと意識した時期もあったけれど,どう足掻いても速度には追いつけなくて,話の順序を組み立てられていない状態でターンが回ってきても,話せない。
話すことはもちろん大事。人間社会で生きていくには必要なことだけれど,全て口頭で行う必要はない。自分の弱みを人並みにしつつ,自分の強みをしれっと活用できるようになる。これが最近はできるようになってきて,少し生きやすくなっているのかもしれないと思う。

知恵や情報を自らの行動で取りに行き,その知恵や情報を使って,行動する。行動によって得た知見を誰かに共有して広めていく。その知見が誰かの知恵や情報となる。そして,また,得た知見や情報をもとに誰かが行動をする。知恵や情報が拡大する方向にシフトする。
その手助けができたらいいな。

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