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心もとない僕の右肩

僕の右肩は心もとない。

事の発端は高校生の時に家族で行ったスノーボード旅行だった。

雪景色にウキウキし、しばらくはスノーボードを楽しんでいたのだが、変な体制でこけて肩を負傷、その後ホテルのお風呂で弟とふざけていたらガコッという音がして肩が外れてしまった。

あまりの激痛に目を開けることもできず、毛穴から出てくるのが分かるほどに噴き出る脂汗。

頭の中が「イタイ」という文字でいっぱいになった。

ただ、イタイに占領された脳の片隅に残っていた僅かの理性が、『ここが山の上で、おそらく一番近い病院に行くのにもかなりの時間がかかる』、ということを親切にも教えてくれて、意識が遠のいた。

「(何より今の恰好。この痛みの中でどうやって服を着るんだよ。)」


脳は耳から入ってきた音を正確に処理する能力も失ってしまい、周りの音がやけに増幅され、耳鳴りのようだ。

そこにである。

うねりのような雑音の向こうで声がかすかに聞こえた。


「大丈夫ですか?僕、整形外科なんですけど、見た感じ、脱臼しちゃったみたいですね。治しましょうか?」


山奥のこじんまりとしたスキー場のホテルに、偶然にも整形外科医が泊っていて、偶然にも僕らと同じ時刻に大浴場に居合わせたようだった。

体のどこどう動かしたら痛くないのかわからなくて、ただひたすらにうずくまるしかなかったが、心の中で大きく首を縦に振り、まばたきをたくさんして、その整形外科医にメッセージを送る。

「(お願いします、ぜひ今すぐにお願いします…!)」

この人がきっとこの痛みからすぐに救ってくれるに違いないと分かると不思議なもので、それだけで痛みが少し和らいだ。

ほどなくして、その整形外科医は周りの人と連携して即席の医療チームを組み、手際よく脱臼の整復術に入り、難なく肩を元に戻してくれた。

ホッとして放心状態でいると、その整形外科医は「じゃ」といって風のように去っていってしまった。

「カッコいい」

顔もまともに見れなかったが、あまりのあざやかさにほれぼれしたのを今でも覚えている。

ただ、肩関節の脱臼は習慣性、つまり癖がついてしまいやすいようで、僕の肩もその例にもれず、脱臼癖がついてしまった。

それからというもの、僕の右肩はかなり心もとない。

ジムで筋トレをしていたり、スキーでこけたり、重い机を運んだり、と少し肩に負担がかかると外れる。

もはや整形外科医がいなくても元に戻せるという部分だけは少し便利だが、やはり結構痛いものである。


先日、家族の悲鳴が聞こえて隣の部屋に向かってみると、壁に結構大きなゲジゲジ(という名前が適切そうな虫)がいた。

「ここは僕が」、と果敢にゲジゲジを退治しようと近づいたところ、しばらくの攻防の末、なんと奴がぴょんと僕の手に飛び移ってきたのである。

思いもよらない事態を理解するのに0.1秒くらいの時間を要したのち、『うわぁぁぁぁぁあああ~~~』という情けない声を出して手を振り払った。

振り払い方が悪かったらしく、そこでガコッとまた肩が外れてしまった。

これには流石に家族も呆れてしまい、少しでも力仕事をしようとするたびに心配がられるのが情けなくて、ついに勇気を振り絞って病院に行くことにした。

アメリカで初めての病院受診である。

借りてきた猫のように診察室に座り、ちゃんと理解してもらえるかどうか不安になりながら、一回一回どういう風に肩が外れたかを説明していった。

僕のたどたどしい英語にはやや引目を感じたが、「こちとら年間200万円くらいの医療保険を払っているのだ。医療を受ける資格はある」と自分を奮い立たせて、やりとりを進めた。

担当してくれた医者は、幸いとってもいい人で、いやな顔一つせず話を聞いてくれ、「結構日常生活でも困っていそうだし、(当然だ。虫に驚いただけで外れるんだから)すべての検査が出そろったら手術が必要かどうか考えよう」という方針になった。

数回の受診を重ねようやく全ての検査をおえたところ、結果は『手術適応なし』。

どうやら、心もとない右肩とはまだまだ付き合っていかなくてはいけないようである。

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