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日本語圏から踏み出そう

近年、特に日本語の情報コンテンツのレベルの低さを感じている。
特にレガシーメディア、テレビ番組や、Youtubeのコンテンツなど、非常に視野も狭く、深い内容にも触れていない。
ゲストの偏り、いつメンばかり。
それだけでなく、深い内容を聞き出せるほどの謙虚さや、知的探究心、好奇心を持たない司会者。

視聴数やインプレッション、コンプラを意識しすぎたためだろうか。異常なまでにつまらない。

視野狭窄によって、この世界が終わっている、退屈に見える人ほど、日本語圏外のコンテンツに定期的に触れてほしいとも感じる。

非日本語に慣れていなければ、和訳されたものでも構わないし、直接コンテンツをChatGPTなどで和訳すればいい。

なぜ、この記事を書こうかと思ったかと言えば、これまでの反省、自戒の念をこめてだけではない、実際に最近は英語圏のビジネス書、教科書(原著と訳書両方)など広く読んでいて、あまりにも専門的かつ高度な内容を明瞭に伝えられる、質の高さを感じたからだ。

また、このようなノートを書こうと発信するきっかけになったのは、茂木健一郎氏がめちゃくちゃlex fridman のポッドキャストを勧めていたこと、

https://youtu.be/GTHT_cMWPkU?si=j8lZfxJyX1pPW9Bu

と同時に、この指摘通りで日本のコンテンツのレベルは低く、インプットとして非常に粗悪になっているという批判への共感もある。
いい大人がマウントしあって、互いの足を引っ張り合うようなコンテンツを出すのだから、もう見る価値もないのだという指摘も十分わかる。
また、ノリが大事だとか行って、需要に最適化させることで結局はコンテンツの大衆化が起こり、退屈になる。またそれで個性を無くし、質の低下が起こるのだろう。
インプットが悪ければ、アウトプットも悪くなるのは必然だ。

私たちはより純粋な知的好奇心にドリブンされた行動とは何かを今一度捉える必要がある。表面的な欲に掻き立てられるのは、人生の無駄で、自分ももちろん、誰しもがそのことは幾らか反省したいこともあるだろう。

自分はまだlex fridmanのポッドキャストを十分にキャッチアップし、理解できるほどの英語力はないのですが、このような取り組みをもっとインプットして、自分も少しでもこのレベルに近い知的活動ができたらとは思う。

このようなポッドキャストは、スポンサー企業からの理解があり、フルバージョンは当たり前、日本みたいにすぐに続き、フルバージョンは登録後、有料でとか、ケチくさいことはやりません。純粋な知的好奇心で探究し合う活動は素晴らしいですね。

知的な貧しさこそが本当の貧しさなのかも知れない。豊かさは知性から生まれるのか。

最後に。
こう指摘したものの、世界的には情報が溢れかえっており、私たちは一度見たソーシャルメディアコンテンツのおすすめに半強制的に囚われており、ますます視野狭窄に陥り、実際には広い情報を引き出せなくなってきているのかもしれない。また、その情報がますます多様性を失わせていて、偏向、分断を深めていく。
そんな感じで言語の問題だけでなく、そもそも多くのプラットフォームの問題かも知れない。
テレビやラジオしかなかったような状態よりは少なくともずっと多様だろうが。もちろん、言語に依存する文化偏向が起こっているのも抑えておこう。

こんな駄文を書いてばかりの自分を情けなく思うが、こういうメディア論に好奇心が湧いてしまったのだから、これを書くしかなかった。好奇心ドリブンだ。

私は貧しいのだ。これに類似した指摘をしている歌を引用できるほど、豊かではない。


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