だから書きたい

瑞希ちゃんへ

なかなかお返事が書けないまま、夏が過ぎてしまいました。

この前の話は今思い出しても耳を塞いで蹲りたくなるような自分のなかで乗り越えられていない話だったので、瑞希ちゃんが「自分の弱さを取り繕わずに書ける今鹿ちゃんは、かっこいい」と言ってくれて励まされたような気がしました。

そういえば創作スタイルについてじっくり語ったことはなかったですね。
「作品は自分の中で答えのあるものを書かないといけない」
あまり考えたことがありませんでした。たしかに《答えがある=読者に伝えたいことが明確》なので納得です。
瑞希ちゃんが手探りで書いた「未熟なオムライス」ですが、私はとても好きです。対談(合同誌「喫茶店で待ち合わせ」巻末に収録)でもお伝えしましたね。
ヒロイン鳴海の葛藤がリアルで、彼女の愛しい・悲しい・怖い…… 揺れるどの感情にも自然に沿って読むことができました。それはきっと答えが出ていない分、《こんなときどんな気持ちか》《こんなときどんな仕草をするか》を丁寧に観察したからなのかな、と思いました。
以前デッサンスクールの先生が「手練れのデッサンよりも不慣れな人がガムシャラに描いたデッサンのほうが良いことがある」と言っていたのを思い出しました。
どう描けばいいか分からない分、モチーフをよく見て必死に手を動かして本物に近づけていくから、だそうです。
今と向き合うってとても大変だけど、それが作品の力になる。すごいことだと思います。

さて、私は合同誌に2本載せています。

「先生のタマゴサンド」
菅原のバイト先は純喫茶。常連客ばかりの店にある日中学生の少女がやってくる。菅原を「先生」と呼び懐く少女。無邪気な彼女との交流を通じて菅原は失くしていた脚本家になるという夢を思い出す。
「ウインナーコーヒー・ロマンス」
マイと七生は付き合って4年。いつもの喫茶店に寄って映画に行く、おなじみにデートコース。ありふれた日々が続くと思っていた。七生の転勤が決まるまでは……

難しかったのは「ウインナーコーヒー・ロマンス」のほう。
こんな1文で始まります。

――恋はウインナーコーヒーに似ている――

私も誰かを好きになったことは、ある。交際したことも、ある。空中を歩いているんじゃないかと思うほどの楽しさも、泣きたいのに泣けないような苦しさも覚えがある。そんな甘さと苦さを書こうとした作品でした。
私は好意って些細なことから生まれると思っているので、その些細なことを作中でどう描くかに苦心しました。
彼女は彼の、彼は彼女のどんなところに惹かれているのか描けていないと結末の説得力がなくなってしまうので。
読み返して描写が全然足りなかったと反省しています。

明確な答えとは違うけれど私が自分の作品に求めているものは一貫しています。それは《ささやかなキラキラした気持ち》です。
「先生のタマゴサンド」の主人公・菅原は脚本家志望の大学生ですが、脚本を子供騙しで綺麗言だと罵られて書くことを辞めてしまいます。
菅原の書きたいものは、そのまま私の書きたいものでした。

本を読んでいて胸がじんわりあたたかくなったり、指先がじゅわっと痺れたりする感覚がとても好きです。そんな読書のあとは自分の部屋でも街でも景色がきれいに見える気がします。
一つひとつの出来事に答えはなくても方向は決まっているんです。
だからもっと表現できるようになりたい。
次に文フリで出す作品が少しでも進歩しているように頑張ります。

ところで、私は最近どこか遠くに行きたくて仕方がありません。
瑞希ちゃんは今どこに行きたいですか?もしくは思い出の旅先とか……
気分だけでも旅立ちたいのでぜひ教えてほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?