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36.フルート奏者が来た(米川さんの絵本)

フルート奏者が山小屋に登って来た。
山登りは初めてだって。
彼は言った。
山ってこんなに気持ちが良いのか。
これからずっと山登りしよう。

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解説

日本で一番標高の高い場所での音楽会。山小屋での音楽会は何処もやっていなかった。環境は最高、演奏も最高。
蓄音機で皆で音楽を聴いていた時、音楽好きの坊さんと意気投合し、ある音楽会でN響のフルート奏者を紹介された。
演奏したい人がやってきて演奏していたから料金は無料、演奏料も無料。

そして1977年、念願がかなって山小屋の音楽会が実現した。
山小屋での音楽会をお願いすると快く引き受けてくれた。
それからずっと今も続いている。

補足

米川正利:
1965年頃、蓄音機でレコードかけていたんですよ。(36話に掲載)
酒飲みながらバッハやショパンをかけて。これがまたよい。
そして音楽好きな登山客のひとたちもに来て音楽一緒に聴くようになったんです。そのなかに、何度か小屋に泊りにきてくれている富山県の光徳寺というお寺の坊さんがいたんです。
その坊さんが「今度、N響のフルート奏者を呼んで本堂で演奏会をやるのでこないか?」と誘ってくれた。それで富山に行ったんです。
そして音楽を本堂で聴いて。とてもよかった。
そして音楽を聴いてた後で一緒に酒飲んでいたら、演奏していたN響のその人が、山で演奏したら気持ちいいんでしょうねえ、トレーニングになると思いますが、私でも登れますかねぇという話になって。
今度山にいってみたいという事になり、で、じゃあ、せっかくだから山で演奏会やろうかとなって。フルート演奏者はN響の首席フルート奏者、小出信也っていう人。
そして1977年に山の音楽会としてフルートの演奏になったんです。
それから合宿に来たり、演奏会したり、山にくるようになって。フルート演奏して。
で、フルート演奏していたら、やっぱりピアノがあったほうがいいっていうことになって。
ピアノをヘリコプターであげて。
1980年からピアノとフルートの演奏会となりました。
そして、演奏会を聴きにきていた人からまたいろいろと始まった。

小出信也は、ずっと山に登っては演奏していた。
そして、彼が来なくなってからは、今はその弟子がきている。
青木美咲さん、高校生の時に山の上で吹いて。
それが今に続いている。黒百合ヒュッテの山の音楽会です。

SAITOUです。
お坊さんと小出さんと米川さんのご交友、とても楽しそうに懐かしそうに話してくださいました。
ヘリコプターで荷揚げが始まった事や、ピアノをあげた事は米川正利さんにとっても思い出深いものだった出来事で絵を描いてくださいました。
次回にヘリコプターでの荷揚げとピアノをあげた絵をご紹介しようと思います。

哀悼

2022年2月22日、元N響首席フルート奏者小出信也様が2022年2月22日に逝去されました。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
小出信也様 ホームページ http://www.koidessimo.com/

米川さんの絵本校正中、引き続きよろしくお願いいたします。

おはなし絵:Yonekawa Masatoshi
共著:Yonekawa Keiko , Saitou

※この記事は米川さんの絵本proofreadマガジンに掲載中です


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