誰でもヨガの先生になれる時代は終わろうとしている(キャー)


数年前までは、痩せたい、健康を保ちたい、ストレス発散したい、姿勢をよくしたい、心穏やかに過ごしたい…などという方がいればヨガを選ばれる方が多かったように思います。それしか選択肢がなかったわけじゃないけど、ヨガの知名度が高かったから、とりあえずヨガがよさそうだよね!っていう(肌感覚)。
ここ数年はヨガ以外にも、ピラティス、ボディメイク、パーソナルトレーニング、ストレッチ、瞑想など、生徒さん側が理想を叶えるために日常に取り入れるものの選択肢が広がりました。専門性も高くなり、よりいい環境になったんじゃないかなと、個人的には思います。

先生側も今まではヨガを伝えていたけど、ピラティスの先生になったり、ボディメイク、セラピストなどに路線変更されている方も少なくありません。先生側もヨガの先生になることが1番身近だったし、そこから自分のやりたいことに気づいて新たな道に進むことは、淀みなく流れる川のように自然な流れだと思います。

生徒がいるから先生になれます。(当たり前ですが)ヨガの先生になるための資格は益々安易に取得できる時代になっていますが、先生になることは以前に増して厳しくなっているのが悲しいかな現実。

ボディメイクとヨガの違い、ストレッチとヨガの違いなどを、もしその専門分野の先生側が理解していなければ中途半端なクラスになっている可能性があり、より専門性の高い自分の理想に近づくクラス、導いてくれる先生のクラスにいくでしょう。
逆に、先生にアツい惹かれる何かがあれば、例えそこを理解できていなかったとしてもそんなことは関係なく、その人についていきたくなるパターンもあります。(矛盾しているようですが、人間はロボットじゃありません故。)

提供できることを自分で理解していること(あるいは模索中)何を伝えたいかを自分でわかっていること(あるいは模索中)など、この自分の中の整理はとても大切で、自分にとっても周りにとってもヘルシーです。

生徒さんは忙しいし、シビアです。
ちゃんと自分にあうものを選ばれます。
先生が迷っていては、生徒さんも迷うのも自然な流れです。
先日、新米ヨガインストラクターの子が「私のクラスは地味です。逆さまとかにはなりません!」とクラス前に明言していると話していました。実際に話を聞いてみると、地味ですがとても大切な身体の動きを丁寧に指導されていました。派手なポーズやキャッチーなものに流されずに、雰囲気で誤魔化さず、自分にできること、自分が伝えたいことが明確でとても感銘を受けました。
実際に私は新米の頃、流され誤魔化し経験者なので、それがどれだけ難しく、勇気のいることなのかはわかります。(私は時代に助けられたのかもしれません)


最近、どこにいってもこの言葉が飛び交います。

「結局、人やねん。」


ほんまそれ。知識だけではどうにもなりません。知識がなくても伝えることがありません。
その知識を自分というフィルターを通してどう伝えるかはその人次第です。


ヨガインストラクター飽和状態と言われるけど、実際のヨガ人口とは比例していないように思います。私はまだまだヨガ人口は少ないと感じます。だけど、ヨガを必要としている人が多くいることはハッキリしています。もっともっとヨガをする人々が増えたら、もっともっと心穏やかで、温かい人々で溢れ、ピースフルなそんな世界になるんじゃないかと思っています。


誰かが言っていました。
地球は行動の星だから、どれだけ想像したとしても行動しなければ現実にはならない的な。(人間という姿で生きてる世界だから)
だからどれだけ頭や心で真理を理解していたとしても、行動しなければ現実にはならず自分のモチベーションやエネルギーは低下する的な。

確かに。
変に納得しました。

周りを見ている暇があるなら自分を見ること。
自分を信じること。
すぐに諦めないこと。


Ogi

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