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米津玄師ファンが読む「創作者の体感世界」

「あなたにはこの世界の彩りが どう見えるのか知りたくて今」

米津玄師の『春雷』の歌詞である。まさにこの歌詞は、私が米津玄師に対して常日頃思っている気持ちそのものである。

この気持ちに導かれ、『創作者の体感世界』(横道誠著 光文社新書)を読んだ。

この本は、発達障害と診断された著者が、当事者の立場から研究と批評を行う「当事者批評」の書である。
「筆者が、さまざまな創作者をじぶんの分身と見なし、慰められ、生きる勇気を与えられてきたという体験世界だ。」(p.6)
とあるように、16人の天才とその作品を愛ある視点で見つめ、作品のどの部分に特性を強く感じるか、を当事者としての共感を踏まえながら紹介している。


私は米津玄師ファンであるため、最終章である彼の章から読み始めたが(オタクの性分なので許してほしい) 一章だけ読むと誤解が生じる可能性があるのと(私は誤解した)、前世代の影響を受けて次世代がいるわけなので、時代順に前から読んでいくことをお勧めする。結局3回読んだ。

米津の章では、ハチ時代も含め、歌詞のどこに自閉的特性を感じるかについて述べられていて、ファンとしては興味深い。

しかしどちらかというと、私は本人の章よりも他の章を読むたびに、(これは米津さんだ)と感じることが多かった。
それを、彼らが共通してもつと思われる自閉的傾向によるものというのであればそうなのかもしれない。また、あくまで私が知りうるのは彼が自ら選んで見せている一部分であるため、勝手に「これは共通点である」などと書くことは失礼にあたるのか、とも感じた。

が、彼は高機能自閉症としての診断をされていることを公言しているため、その前提で書かせていただこうと思う。しかしあくまで私の勝手に作り上げた彼のイメージであり感想にすぎないため、ご留意ください。

以下特に共通点を感じた部分。

与謝野晶子

◆「感覚過敏の特性」に根差した「清新な五感の表現」(P61)

米津の歌詞は、現代的でありつつもどこかアナログで、自然と一体化するような、清らかで爽やかな美しさがあるが、まさに共通するのではないか。

更に、「泣いてる人って独特の匂いがするんだけど、誰に言っても共感してくれない」(2012年2月7日の本人のツイートより)といっている点からも、この特徴が見受けられる。

◆「自閉スペクトラム症者は実生活をつうじて以上に、文学をつうじて他者を理解するようになっていく」(p.70)

宮沢賢治の「春と修羅」を若い頃常に持ち歩きスラスラ暗唱できるくらい読み込んでいた米津も、もしかしてそうだったのかな?と勝手ながら感じた。

 ◆「中性的な意識」(p.81)

米津作品は中性的だな、と常日頃思っていたので、ここにも共通性を感じた。
(米津も何かで、性別を断定しないために歌詞の主語に「わたし」を使っていきたい、というようなことを言っていたのだけれど、なんの記事か失念したのでわかる方教えてください。。)

せっかくなので米津玄師の歌詞のもつ爽やかな美しさの例を載せておく。(ありすぎるけどとりあえず2曲)

ブーゲンビリアの花が咲いた 給水塔の上で
夜明けは紫陽花の様 眠る水脈は透明に

米津玄師「ゆめくいしょうじょ」

あんまりに柔くも澄んだ 夜明けの間
ただ眼を見ていた 淡い色の瞳だ

真白でいる 陶器みたいな声をしていた 
冬の匂いだ 

米津玄師「orion」

宮沢賢治

米津玄師といえば宮沢賢治。米津ファンとしては宮沢賢治と米津玄師が同じ文脈上で語られることはとても嬉しい。

◆「無垢な印象」
米津玄師は内側から匂い立つような色気を持っているのと同時に「無垢な印象」があり、それが彼の清潔感に繋がっている、と常日頃思っているので、こちらにもふむふむと感じた。

 ◆「徹底的青狂い」(p.96)
宮沢賢治作品の中に青の表現が何度も何度もでてくるという。

米津玄師の歌詞にも青が使われることが多い。
米津が宮沢賢治を好きであるため自然と青を使うようになったのか、それとも、もともと共通する特徴なのかはわからない。しかし米津が青を重要な色であると感じていることは確かであろう。

青く澄んでは日照りの中 遠く遠くに燈が灯る
それがなんだかあなたみたいで 心あるまま縷縷語る

米津玄師「海と山椒魚」

朝日が昇る前の欠けた月を君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色

米津玄師「灰色と青」

その日から僕の胸には嵐が住み着いたまま離れないんだ 人の声を借りた蒼い眼の落雷だ

米津玄師「春雷」

あなたの腕 その胸の中 強く引き合う引力で
ありふれていたい淡く青いメロディー

米津玄師「Pale Blue」

高橋留美子

『知的障害を併発していない自閉スペクトラム症者たちは、しばしば非常に「良家のお坊ちゃん・お嬢ちゃん的」と形容できそうな上品な言動を呈する。』『まわりの人とむやみに関わろうとしないため、「高嶺の花」のように孤高の存在という印象を与える。』(p.239)

本書で最も「そうそうそうそうそうそうそう!」と膝を打った。たまに荒い言葉を使おうが、どんな家庭環境で育とうが、オタク気質があろうが、年中素足にサンダルで過ごそうが、彼は「上品」という言葉が似合いすぎるほどに似合う。

以上、様々な例を挙げたが、上記はあくまで一例であるし、私の所感なので、興味を感じた方は是非本を読んでみてほしい。


さて余談ですが、こちらを読んでから、2017年の「CUT」(出版元 株式会社ROCKIN’ON)が無性に読みたくなった。

米津から過去の自分へ書いた手紙が掲載されており、何度読んでも彼の持つRPGの主人公感にグッとくる。
自己批判を繰り返しながらも自らの思想、理念、美意識を貫き通し、新たな自分を獲得していく米津の姿勢にはただただ敬服するしかない。らぶ。


その人をその人たらしめる要素というのは無数にあり、この書にあるような特徴だけで米津玄師やその他の天才たちの素晴らしさを語ることはできない。

しかし本書を読んで、(誤解を恐れずに言えば)より米津玄師のことを愛しいと感じたし、もっとこの人の見る世界を見たいと思ったし、そういった意味で有益な読書体験であった。


学生のレポート並みに長くなってしまいました。また、米津さんのこと米津って便宜上呼ばせていただきましたすみません。

今年は本とか映画の感想もまとめていきたいな、と考えてます。ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

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