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本当の理想で生きているだろうか

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ

焼かれるたいやきくん、つらたん。

だからイライラして店のおじさんと喧嘩したんだろうな。
なんて邪推してしまいますね。
さらに邪推すると、きっとおじさんもイライラしてたんだろう。
もしかしたら鉄板の上で焼かれるような日々を送っていたのはおじさんかもしれないね。

さて。
"およげ!たいやきくん"のエピソード。
これは人生の縮図のような気がしていまして。

今、生きている現実に不満を覚える。
現実逃避を試みる。
逃避して楽しい経験もできたけれど、やはり現実に引き戻されてしまう。

たいやきくんが釣り人に釣られて食べられる結末は何とも物悲しい。
そんな結末まで含めて、多くの人が辿る人生を描いている。
そんな気がする。

そろそろ本題に入ります。

「あらゆる状況において、いつ何時も、
 人は鉄板の上に乗っかっているという現実を生きているのでは?」

というのが今回のテーマです。

要するに鉄板とは望まない現実のこと。
歌詞の2番では海の中でさえも望まない現実が起きています。
敵もいれば、塩水でふやけてしまう。
泳ぐたいやきくん、つらたん。

ただし。

「結果食べられてしまったものの、焼かれ続けたままの人生よりは良いのではないだろうか?」

そんな風にも思うわけで。

今まで焼かれることを良しとして、それが当たり前の日々を送る人生。
人生は短かったけれど、自由に大海を泳ぐことができた人生。

「価値観の違いじゃね?」

と言われればそれまでですが、人間はそういう風にはできていない。
人間は自由を謳歌するために生まれてきたのだ。

では。
今回のテーマをもう一歩進めましょう。
今の現実は何かを考える題材は新型コロナのマスクです。

特に夏場は、

ますくが むれて いやになっちゃうよ

なんてことになっていたでしょう。
今の季節でも息苦しくなるので、嫌になっちゃう人も多いでしょう。

でも、全く感染リスクがない屋外でも殆どの人がマスクをしている。
僕からすると鉄板の上で焼かれている"たいやきくん"である。
かなり熱そうだ。
なんてことを思いながら群衆を眺めている。

マスクを否定するわけではないです。
否定したいのは、現実を極めて受動的な態度で生きていること。

目の前の魚が左を向いたら左に進み。
目の前の魚が右を向いたら右に進み。
横の魚が焼かれたままなら右にならえと焼き魚。

群衆に紛れている方が心理的ストレスがないかもしれない。
マスクをしてれば、少なくともマスクポリスに睨まれることもない。

でも、その一方で心の自由や現実を疑う思考を放棄している。

あくまでマスクは例え話。
言いたいのは、

「人はあらゆる場面で何となく受け入れている現実があるのでは?」

ということ。

鉄板しかり、マスクしかり。
サービス残業しかり、いやいや続けている人付き合いしかり。

積極的に受け入れていない現実。
誰かによって受け入れさせられた現実。
そんな現実の寄せ集めで人は生きている。

「本当に生きたい現実ってどんなだったっけ?」

いつの間にか考えることも忘れて、きっと群れの中で生きていくのだろう。

余計なお世話かもしれないけれど。
でも、人は生きたい現実をつくっていく存在なんだろうと思う。

時には失敗して。
失敗した後には勇気を振り絞って現状を打破する。

時には成功もして。
成功したらしたで調子に乗ってしまう失敗もして。

喜怒哀楽を味わうために、勇気を出して現実を変えていく。
それが本来の人の生き方なんだろう。

たいやきくんは喧嘩が切っ掛けだったけれど。
人は勇気を出せばいつでも現実を変えられる。

林修先生ではないけれど。
やりたいと思った瞬間が現実を変えるベストなタイミングだろう。
明日も同じ想いになるかどうか分からない。
明日生きているかどうかも分からない。

人は理想通りの人生を歩む自由がある。

"理想的で完璧なたいやきになる"

という理想も良いかもしれないけれど。
熱い鉄板から逃げ出してみると、また違った理想が見つかるかもしれない。

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