見出し画像

声が出ない時

声をだそうとしても、声が出ない時がある。

何故だろう、気持ちが沈んでいるのか、意味が無いと思ってしまうのか、言おうと思って止めてしまうのだ。

そうゆう時は、大抵の場合、調子が悪い。身体の調子も心の調子も、頭が働かない。

そこに存在する事しかできない、ストレスから声が出なくなると聞く事があるが、過度のストレスからそうなるんだろう。

僕は、そこまでにはならないが。

自分の心に嘘をつくのが苦手なのだ、誰かに言われたりすると余計だ、反射的に気持ちが萎える。

基本的に心がオープンになってるときは、無意識の相手の少しでも言葉や文章にトゲみたいな、イヤミのような事を言われると、気分が下がる。ほとんど寝ればなおるけど。

だけど、過去にすごいストレスがかかった出来事は、たまに嫌な事があった時に、ふと思い出してしまう。

過去の経験を、思い返して、これは同じ状況だなと判断するように。選択しない方がいいと、自分の脳がイメージをして判断しているのだろうか、心の防衛反応だろうか。

ワクワクしないからか、声が出ない時は、自分の心が判断しているか分からない。

そういう時なのだろう。

自分が自然に元気になるのを優しく待つしかない。

自分にも優しくしなければ、相手に優しくできなくなる。

ゆっくりと、時間の流れに身を任せて、ただそこに存在する、それだけを意識すると、少し楽だ。

生きづら世の中だと思う事もあるが、面白い事もあるし、可能性や繋がり、感動したり、誰かと会えるのを楽しみにしたり、何か一つでもワクワクする可能性があれば、その一つの為に、少しづつ生きていけばいいのではないかと想う。

今、死んでも、後悔はない生き方をしたいな。

死ぬ間際に、満足して笑って死ねれば。

それは、満足の行く人生なんじゃないかなと想ったりする。

僕は、フルマラソンの自己ベストを更新して限界を感じた時に、もう俺は頑張ったな、もう死んでも悔いはないと想った事がある。今でもたまにそう思う。

だから、僕は生かされていると感じる、世界に生かされていると。

「世界はいつも最善を尽くしている」

そうなのならば、僕のこれまでの出来事は、世界は最善を尽くしていた結果なのだし、これからもそうなんだろう、何が起こるか分からないけど。

これからは、ワクワクする事を選択していく、新しい小さな挑戦の繰り返しだ。

過去にダメだった結果と、同じような選択はしない、少しでも改善する。

新しいことをしていこうかな。


優しい世界を作るために、使わせてもらいます。