「共存」することの大切さ
どうもどうも。
相変わらず前回記事からクッソ時間が空いております。別に忘れてたわけじゃないんですよ。
そうだ、久しぶりに言い訳から始めましょうか。うん、それがいいね。
だって、メッチャクチャ忙しかったんだもん!(逆ギレ風に)
いや、いっつもいつも忙しいって書いてますけどね。
それどころじゃ、なかった。いや、ない。現在進行形で忙しい。
詳細は書きませんが、普段の活動に加えて、教室の引っ越し、その教室を管理運営する法人の立ち上げ、その法人の銀行口座開設とかなんやかんやの事務仕事。HPの作成とか。
いったい……どういうことだってばよ!!!(うずまきナルト風に)
へい! 俺は事務仕事が苦手だから、今の仕事についてるんだぜ! それがどうして、こんな事務仕事ばっかりやっとるんだわさ!
。。。とまあ、心の叫びはこれぐらいにしましょうか。いや、したくない(反語)と心中には、虎に変化した李徴もかくやとばかりに猛り狂う何ものかの咆吼が響いておりますが、文章にするのは、ここまで。後は闇夜に浮かぶ月に向かって吼えるまで。
あ、ちなみに上に書いた通り、教室引っ越しました。西荻窪から吉祥寺御殿山。井の頭公園が目の前の立地で、前よりかなり素敵な空間になっております。カフェみたいです。今度、魚も飼います。
はい、ということで、いきなりですが、本日のテーマ。
それは、「共存」。
これは先日、ヒルネットの活動中に、みんなに話した内容です。
おかげさまで、ヒルネットも最も古いメンバーはもう高校生に。
その間、次々と新しいメンバーも増えて、もう活動を始めた最初の頃のメンバーの方が少数に。
ということで、改めて、皆が活動をする際に、最低限、考えてほしいなと思うところを話したわけです。
それが「共存」という理念。
これは、何か考えて生まれたキーワードではない。活動する中で、自然とテーマになっていったことなんですな。
ヒルネットには、当然ながら、いろんな子どもたちが集まります。
やんちゃな子もいれば、大人しい子だっている。比較的、成熟したタイプがいる一方、まだまだ幼い感じの子もいる。
そもそも縦割りなので、多くが異年齢。当然、趣味趣向は違ってくる。
ということは、これまた当然ながら、誰かと誰かがぶつかることもある。トラブルになることだってある。
それは、少人数であるとはいえ、小学校や中学校と変わりません。というか、変わるはずがない。
なぜなら、社会そのものが、そうだからです。
どんな社会集団に属したって、それはいつも既に、異なる個性の集団に違いない。小集団でも大組織でも変わらない。
当然、そこには人間同士のトラブルがある。大人同士にだってある。いや、なまじっか「大人」として他者への怒りを抑圧しようと努めるあまり、心を病んだり、逆に陰湿なものになったりもする。
場所がヒルネットであっても同じです。嫌なことだって、良いことと同じ分だけある。嫌いなやつだっているだろう。煙たい年上のアイツ。生意気な年下のあの子。ーー人間と人間が同じ場所で活動する限り、必然的に生じることです。
僕が思うのは、そんな「アイツ」と別に仲良くしなくても、いい。
嫌いなら、嫌いなままで良い。
但し、どんなにムカつくヤツとでも、「共存」はしなければ、ならない。
どういうことか。
それは、相手がどんなに気に食わずとも、その彼・彼女が同じ空間を、活動を共有する存在であることを尊重し「認める」ということです。
その場から排斥しようなどと決して考えてはならない。
自分が関わらずにいることは自由だが、相手が自分以外の誰かと何をしようと邪魔してはいけない。
自分の「自由」が侵されない限り、その相手の活動をも「尊重」する必要がある。
逆に言えば、ケンカする時はケンカしたって良いんです。殴り合いのケンカになってもいい。
僕はケンカは子どもの特権だと思っています。
もちろん、危ない武器などを使っちゃダメですが、ケガをしない程度にポカポカやり合うのを、ヒルネットでは無理に止めません。ケンカが終わった後にゆっくり話を聞きます。
自分が何をされると「怒る」のか。
相手がどういう時に「怒る」のか。
お互いに感情を表現しなければ、お互いに何をどうすれば相手を「尊重」することになるのか、その仕方も判りません。
だから、「嫌だ」「やめろ」という強い意思表示が出来るようになることも、僕は一種の「学び」であると思います。結果的にケンカになったとしても、それは大切な体験です。
ヒルネットは、そもそも僕も所属する「V-net教育相談事務所」に教室をお借りして活動する立場でした。今も、主に昼間と夕方とで使い分けつつ、シェアする形は変わりません。
最初、僕はヒルネットが自由に活動するためには、他に教室を持つことが理想なのではないかと考えていました。
しかし、今はそうは思いません。
なぜなら、「自分たち」とは違う誰かと教室をシェアすることで、自然と子どもたちが、教室の備品を丁寧に扱うようになったり、知らない大人にも自然と対応できるようになったりしていく姿を見てきたからです。
「自分」そして「自分たち」以外のもの。他者。
少し哲学的なことを書くと、「他者」とは本来、ただの他人とは異なり、「自分では理解できないもの・想像できないもの」を意味します。「自分たち」=共同体は、そうした想像不能な「他者」を容易に「敵」と見做して攻撃する。
ですが、日常において出逢う「他者」の殆どは、実は相手の内心を想像しないで済ましている「他人」にすぎません。
だから、僕は子どもたちに(あるいは僕を含む大人たちスタッフも)、一見「他者」に思える、自分に理解不能な「嫌いなアイツ」と共存することを覚えてほしい。
嫌いなら嫌いなままで、相手を尊重するあり方を覚えてほしい。
実際、この数年の間だけでも、ケンカばかりしていたメンバーが、気がついたら少しずつ他のメンバーに「配慮」するようになっていった姿を僕は見ています。
少し「煽られ」ただけでトラブルになっていた子が、ちょっとした揶揄に動じなくなる姿を見てきました。
自己主張ばかりする彼が、「他人」の意見に耳を傾けるようになりました。
自己主張するばかりの彼を、そんな彼のあり方を含めて、周囲が「自分たちの一人」として認めていく姿を見てきました。
「仲良く」する必要はない。
でも「共存」はする必要がある。
今後も、こうした考えを一つの軸に、ヒルネットの活動を続けていきたいなと思う今日この頃です。
それでは、それでは。