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環境モニタリングとMALDI-TOF MSによる食品微生物管理の最前線


1. 背景

食品製造工場では、HACCP (Hazard Analysis and Critical Control Point: ハザード分析重要管理点) システムの導入が一般的です。
しかし、依然として世界中で食中毒事例が発生しており、その原因の多くはHACCPの前提条件プログラムの不備に起因しています。
特に、環境微生物の管理が不十分であることが問題です。米国では、これを解決するためにFSMA (Food Safety Modernization Act) の一環としてHARPC (Hazard Analysis and Risk-Based Preventive Controls) が導入され、サニテーション予防コントロールが強化されました​。 

2. 環境モニタリングの重要性

食品製造工場において、環境モニタリングはHACCPの前提条件プログラムの一環として、微生物管理における重要な手法です。
特に加熱後の製品を包装する食品群では、工場環境中の微生物による二次汚染が問題となっています。これを防ぐために、環境モニタリングプログラム(Environmental Monitoring Program, EMP)の導入が求められます​。 

3.環境モニタリングプログラムとは

環境モニタリングプログラム(Environmental Monitoring Program, EMP)は、食品製造工場などで使用される微生物管理システムの一環として、環境中の微生物を監視し、安全性と衛生管理を確保するための手法です。
EMPは、工場の製造環境中に存在する微生物を特定、測定、管理するために設計されており、食品の安全性を維持するための重要な要素となっています。 

EMPの主な要素

1. サンプリング計画

EMPには、工場のさまざまなゾーン(食品接触面、非食品接触面など)から定期的にサンプルを採取する計画が含まれます。これにより、特定の微生物がどこに存在するか、どのように広がるかを把握することができます。 

2. 微生物検査

採取されたサンプルは、細菌や真菌などの微生物を検出するための検査にかけられます。これには、培養法やPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)などの技術が使用されます。近年では、MALDI-TOF MSなどの迅速同定技術も利用されています 。

3. データの記録と分析

サンプリングと検査の結果は記録され、トレンド分析に使用されます。これにより、特定の微生物が増加しているか、異常なパターンがあるかを検出し、早期に対応することができます 。 

4. 是正措置

異常が検出された場合、適切な是正措置を講じることが求められます。これには、洗浄と消毒の手順を見直す、設備を改善する、従業員の衛生教育を強化するなどが含まれます 。 

EMPの重要性

食品安全の確保

EMPは、製品が消費者に届く前に食品が安全であることを確認するために不可欠です。特に、リステリア菌やサルモネラ菌などの病原菌による汚染を早期に検出し、対策を講じることで食中毒のリスクを低減します 。 

法規制の遵守

多くの国では、食品安全に関する法規制に基づいてEMPを実施することが義務付けられています。例えば、米国ではFDA(食品医薬品局)がEMPの実施を推奨しており、環境モニタリングが求められています 。

生産効率の向上

EMPを導入することで、汚染の原因を早期に特定し、適切な対策を講じることができます。これにより、生産ラインの停止を最小限に抑え、効率的な生産を維持することが可能です 。 

実施の具体例

1. 食品工場でのEMP

ある食品製造工場では、EMPを導入して定期的な環境サンプリングを実施しています。
例えば、毎週のサンプリングを行い、特定の食品接触面からの微生物の存在を監視しています。
この工場では、MALDI-TOF MSを利用して迅速に微生物を同定し、異常が発見された場合には即時に是正措置を講じています​。 

2. 医療施設でのEMP

医療施設では、手術室や無菌室の環境モニタリングを通じて、院内感染のリスクを管理しています。
これには、空気中の微生物や表面の清浄度を定期的に測定することが含まれます。
MALDI-TOF MSは、迅速な微生物同定に役立ち、感染管理の向上に寄与しています 。 

4.環境モニタリングに関するガイドライン

環境モニタリングプログラム(Environmental Monitoring Program, EMP)は、食品製造業における微生物管理の一環として重要です。以下は、主要なガイドラインの概要です。

 米国農務省食品安全検査局(USDA FSIS, 2014)

米国農務省食品安全検査局(FSIS)は、リステリア・モノサイトゲネス(Listeria monocytogenes)の管理に関するガイドラインを提供しています。
このガイドラインでは、特にポスト・レサティビティ(加熱後の製品)におけるリステリア菌の管理が強調されています。
工場内の定期的な環境サンプリングを推奨し、30cm x 30cmの表面からサンプルを採取してリステリア菌の存在を検出します​。

 米国FDA(2017)

米国食品医薬品局(FDA)は、食品製造施設における環境モニタリングを強化するためのガイドラインを発行しています。
特にリステリア菌とサルモネラ菌の監視が重視されており、環境サンプルからこれらの病原菌が検出された場合、即座に是正措置が求められます。
また、FDAは病原菌の遺伝子解析を行い、環境サンプルと人間の感染症との関連を調査することも推奨しています​​。

 ISO 18593:2018

ISO 18593:2018は、環境および食品接触面の微生物サンプリングに関する国際標準規格です。
この規格は、サンプリングの手順、器具の選択、サンプルの取り扱い方法について詳細に記載されています。
特に、サンプリング面積の推奨として、微生物の検出には1,000〜3,000cm²、菌数測定には100cm²とされています​。

 3M & Cornell University(2019)

3Mとコーネル大学は、食品製造環境における微生物モニタリングのベストプラクティスを提供する共同ガイドラインを発表しています。
このガイドラインでは、リステリア菌やサルモネラ菌の検出に焦点を当て、迅速な同定と対応策の実施が強調されています。
これにより、食品の安全性を確保し、リコールのリスクを低減することが可能です​。

 EN 17141:2020

EN 17141:2020は、クリーンルームおよび制御環境における微生物モニタリングのヨーロッパ規格です。
この規格は、環境微生物のリスク評価と管理に関する包括的なガイドラインを提供します。
特に、製薬業界やバイオテクノロジー産業における高レベルの清潔度を維持するための手法が記載されています)​。

 これらのガイドラインは、環境モニタリングの重要性を強調し、食品製造環境における微生物リスクを最小限に抑えるための具体的な手法を提供しています。各ガイドラインは、それぞれの地域や業界の特性に合わせて適用され、食品の安全性を確保するために役立っています。 

4. 環境モニタリングの目的と対象微生物

環境微生物モニタリングの主な目的

  • 洗浄・消毒手順の効率性を判断する

  • 特定の病原微生物の存在を特定・監視する

  • 病原菌や腐敗菌の潜在的な汚染源を特定する

  • 微生物の生態全般に関する知識を深める

 主な対象微生物

  • リステリア菌: 調理済み食品(RTE)に関連し、製造環境にバイオフィルムとして定着することが知られています。

  • サルモネラ菌: 製造工場に長期間定着し、ピーナッツバターやチョコレートなどに二次汚染する可能性があります。

  • クロノバクター・サカザキ: 粉ミルク製品に関連し、ミルク工場環境に長期間生存し、二次汚染の原因となります。

  • 指標菌: 一般生菌数など。

  • 腐敗細菌: 酵母、カビ、乳酸菌など​​。 

5. 環境モニタリングのプロトコル

環境モニタリングのプロトコルは以下のようにゾーンに分けて実施されます。

  • ゾーン1: 露出した食品接触面(例:コンベアの表面、テーブルの上、フィラーノズルなど)

  • ゾーン2: 食品接触面に近接した非食品接触面(例:壁、天井、床など)

  • ゾーン3: 加工エリア内またはその近くの非食品接触面(例:フォークリフト、排水溝など)

  • ゾーン4: 加工エリア外の非食品接触面(例:ロッカールーム、トイレなど)​。

各ゾーンごとに適切なサンプリング箇所を設定し、無作為抽出と標的を絞ったサンプリングの混合を行います​。 

6. 微生物検査のサンプリングプラン

サンプリングプランは以下の段階で実施されます。

  • 第1段階: 無作為抽出でサンプル採取

  • 第2段階: 無作為と標的を絞ったサンプル採取の混合 

サンプル採取の頻度

サンプル採取の頻度は製品の種類や製造頻度に応じて決定されます。例えば、リステリア菌の場合、以下のような頻度でサンプリングが行われます。

  • リステリア菌の増殖が認められないRTE食品: 月1回のサンプリング

  • リステリア菌の増殖が認められるRTE食品: 毎週のサンプリング

また、工場内でリステリア属菌の陽性サンプルが発見された場合は、サンプリングの頻度をさらに増やします​。 

サンプル採取のタイミング

サンプル採取は、目的に応じて製造開始前、製造中、製造後に行います。ISO 18593:2018では、生産開始から少なくとも2時間経過してからサンプリングすること、または生産サイクルの終盤でサンプリングすることが推奨されています​。 

拭き取り検査

推奨採取面積は、ISO 18593:2018では特定の微生物の検出には1,000〜3,000cm²、菌数測定には100cm²とされています。
米国農務省では30cm × 30cmが目安とされています​。 

7. 日本の旧・衛生規範における環境微生物の管理

日本の旧・衛生規範においても、環境微生物の管理や基準が重要視されてきました。特に、食品製造工場の衛生管理については、以下の点が規定されていました​。 

管理基準と具体的手法

  1. 洗浄・消毒: 施設内の清掃と消毒は、定期的に行われるべきであり、特定の病原菌(例:大腸菌、黄色ブドウ球菌)の存在を監視するために環境サンプリングが推奨されていました。

  2. ゾーニング: 高リスクエリアと低リスクエリアを明確に分け、交差汚染を防ぐためのゾーニングが重要視されていました。特に、製造ラインと原材料保管エリアの間での物理的な隔離が求められました。

  3. 従業員の衛生管理: 従業員の手洗いと衛生教育が強調され、適切な衛生習慣の維持が必要とされました。定期的な健康診断と教育プログラムが実施されました。 

基準値

環境微生物の管理における基準値としては、食品接触面および非食品接触面からのサンプル採取と菌数測定が行われました。具体的な基準値は以下の通りです。

  • 大腸菌群: 100cm²あたりの菌数が10以下

  • 一般生菌数: 100cm²あたりの菌数が100以下

これらの基準は、食品の種類や製造環境によって異なることがありましたが、基本的には厳格な管理が求められていました​。 

8. サニテーション予防コントロールとFDAの査察

サニテーション予防コントロール

HARPCシステムでは、食品施設がサニテーション予防コントロールを含む総合的な食品安全計画を実施することが求められます。
この計画には、環境病原菌や従業員が取り扱う食品の危害を最小化するための衛生的な条件を維持するための手順、慣行、プロセスが含まれます。
さらに、これらの予防コントロールが効果的に実施されていることを確認するための監視、修正、是正措置、および検証活動も含まれます。
環境モニタリングは、特にRTE(Ready-to-Eat)食品の汚染リスクが高い場合に必須となります​。 

FDAの査察

FDAは、リスクベースのアプローチで食品施設を査察し、食品安全システム全体を理解することを目指しています。
査察の種類には、監視査察、コンプライアンスフォローアップ査察、および原因調査査察があります。
監視査察は、規制の遵守を評価するためのルーチン査察と、特定の食品安全リスクに基づくターゲット査察に分かれます。
コンプライアンスフォローアップ査察は、以前の違反査察や公式な機関行動後に行われ、違反の是正を確認します。
原因調査査察は、食中毒の発生や消費者からの苦情、製品リコールに対応するために行われます。

FDAの査察では、特にサルモネラやリステリアに対する懸念が高く、環境モニタリングと検証が重要視されています。
例えば、サルモネラやリステリアが環境サンプルから検出された場合、その後の製品汚染リスクが高いため、即時の是正措置が求められます。
れには、製造設備や環境の再評価、洗浄・消毒手順の見直し、従業員教育の強化などが含まれます。 

環境モニタリングの検証と妥当性確認

環境モニタリングは、施設の清掃・消毒の有効性を評価し、病原菌の存在を監視するために不可欠です。FDAは、定期的な環境サンプリングと微生物検査を推奨しており、これにより施設内の潜在的な汚染源を特定し、適切な是正措置を講じることが求められます。例えば、リステリア菌やサルモネラ菌の検出は、製造環境の汚染を示す重要な指標となり、これをもとに適切な管理策を講じることが求められます。

FDAは、環境モニタリングの一環として、食接触面および非食接触面からのサンプルを採取し、病原菌の存在を検査します。この際、ATPテストなどの迅速な検査方法も活用されており、施設内の清掃効果を即座に評価することが可能です。さらに、FDAは、病原菌の遺伝子解析を行い、環境サンプルと人間の感染症との関連を調査することもあります。

食品施設は、環境モニタリングの結果に基づいて、継続的な改善を図ることが求められます。これは、製品の安全性を確保し、消費者の信頼を維持するために重要です。施設は、環境モニタリングプログラムを適切に設計し、実施することで、潜在的な汚染リスクを最小限に抑え、食品安全基準を満たすことができます。 

9.MALDI-TOF MSの環境微生物管理における活用

MALDI-TOF MSの概要

MALDI-TOF MS(Matrix-Assisted Laser Desorption/Ionization Time-of-Flight Mass Spectrometry)は、迅速かつ正確に微生物を同定するための強力な技術です。
特に、環境微生物の管理においては、その迅速性と高い再現性が大きな利点となります。
この技術は、従来の生化学的同定法や遺伝子解析法に比べて、短時間で多くの情報を得ることができ、特に食品製造業や環境モニタリングで広く利用されています。 

環境微生物管理への適用

MALDI-TOF MSは、以下の点で環境微生物管理に貢献しています。

  1. 迅速な同定: MALDI-TOF MSは、微生物のプロテオームプロファイリングを通じて迅速に同定を行います。これにより、微生物汚染の早期発見と迅速な対応が可能となります。例えば、食品工場内での環境サンプリングから得られた微生物を迅速に同定し、適切な衛生管理措置を講じることができます​。 

  2. 高い正確性: この技術は、微生物の種や株レベルでの高い同定精度を提供します。特に、リステリア菌やサルモネラ菌などの病原菌の検出において、その正確性が証明されています。これにより、環境中の潜在的なリスクを迅速に評価し、管理することができます​。 

  3. コスト効率: MALDI-TOF MSは、従来の遺伝子解析法に比べてコスト効率が高く、大量のサンプルを迅速に処理することができます。これにより、食品工場などでの定期的な環境モニタリングが実施しやすくなります​​。 

事例

いくつかの実際の応用事例を挙げると、以下のようなものがあります。

1. 乳製品工場での応用

ある乳製品工場では、MALDI-TOF MSを用いて環境サンプルから微生物を迅速に同定しています。
例えば、特定の乳製品の製造ラインにおいて、リステリア菌の迅速同定が可能となり、汚染源の特定と即時対応が実現しています。
このプロセスにより、製品の安全性を確保し、製造ラインの効率を高めることができました​。

2. ビール醸造所での応用

ビール醸造所では、MALDI-TOF MSを使用してビールの製造過程で発生する酵母やバクテリアの迅速な同定を行っています。
特に、ビールの腐敗を引き起こす菌株の特定に成功し、品質管理が強化されました。
これにより、製品の一貫性を保ちつつ、汚染リスクを低減することが可能となっています​​。

3. 加工食品工場での応用

ある加工食品工場では、定期的に環境サンプリングを行い、MALDI-TOF MSを使用して微生物の同定を行っています。
特に、サルモネラ菌やリステリア菌の迅速同定により、汚染の早期発見と是正措置が迅速に実施され、製品のリコールリスクが大幅に低減されました​。

4.水質管理における応用

農業用水の微生物質を監視するためにMALDI-TOF MSが利用され、農業環境における微生物汚染の迅速な評価と管理が可能となりました。
これにより、農産物の安全性が向上し、消費者の健康リスクを低減することができました​​。 

まとめ

MALDI-TOF MSは、その迅速性、高精度、コスト効率の高さから、環境微生物管理において非常に有用なツールです。食品製造業や農業分野において、汚染リスクを迅速に評価し、適切な対策を講じるためにこの技術を活用することが推奨されます。今後も、さらに多くの実例を通じてその有用性が確認されることが期待されています。 

参考文献

  • Lilian et al. (2021) Environmental monitoring program to support food microbiological safety and quality in food industries: A scoping review. Food Control, 130, 108283

  • 米国FDAの環境サンプリングに関するガイドライン

  • SalmonellaとListeriaの制御に関する最新のFDAガイドライン

  • Applications of MALDI-TOF MS in environmental microbiology​ (RSC Publishing)​

  • MALDI-TOF as a tool for microbiological monitoring​

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