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任天堂を辞めたワケ

子供の頃から慣れ親しんだ憧れの企業に入社出来たのだからとても幸運だったと思っている。しかも開発者として長年従事出来た事は素晴らしい体験だったと今になってしみじみ思う。

私の入社当時は定年制がなく「よし、老兵になってもゲームやおもちゃを作り続けるぞ!」と意気込んでいた。やがて定年制が導入され、「よし、定年まで開発者として頑張ろう!」と心に決めていた。

だが50歳を過ぎた頃から残りの人生に対しての考え方に少し変化が出て来た。社内での環境変化も相まって、そのうち退職して一念発起し起業しようと意気込んでいた。

しかしよく考えみると経営者とクリエイターの両立などこの私に出来そうもない。せめて個人事業主としてクリエイティブに関してはやりたい仕事だけをしてセカンドライフを過ごせないかと妄想していた。

40代以降は社外の開発会社との仕事が増え、おかげで様々なクリエイターとお付き合いする事が出来た。会社は違えどクリエイター同士、趣味の話から仕事の話まで初めて会った人でもすぐに打ち解けて仲良くなった。そしてここ数年は「いずれ脱サラするのでいつか一緒に仕事しましょう!」と将来に向けての営業活動を吹聴していた。

しかしやっぱり任天堂を辞めるなんてあり得ない、まだまだやり残した事がある!と思う日もあれば、このままでは無駄に時間を消費してしまう!早く独立して自分のやりたい事を実行したい!と思ったり、一喜一憂する時期が続いた。

でもまあ多くのクリエイターを抱える会社は大変だと思う。開発に携わる人は皆プライドが高い。そのプライドを保つ事がクリエイターとして自身のアイデンティティも保っている。そんな人達をマネジメントしてチーム制作をさせるのだから大変だ。彼等を束ねて動かすのはやはり気の良い上司では無くカリスマの存在が大きいだろう。

任天堂には大ヒット作を生み出した多くのカリスマ開発者が存在するのでまだまだ安泰だ。人気IPさえあれば大丈夫!など実は大きな間違いでその価値を支えている優秀な人達がいる事を忘れてはいけない。

話は逸れたが、そんな一喜一憂時代に今度新しい大学が開学するんだけど興味ありますか?とのお話を頂いた。理系の大学でCGやゲームを教える学科も出来るとの事。

正直な所「先生」と呼ばれる人たちは嫌いだった。小中学校とさんざん殴られ、一生懸命描いた絵をマンガ的なのでダメと言われ、ロクな思い出が無い。しかし話を聞いている内に遅かれ早かれ数年後には定年退職になるし、大学では副業は問題ないとの事だったので一足お先に!と言った感じで退職を決断した。

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