3年のときを経て君は何を想う
社会復帰して、今年で3年が経った。
長いようで短い、あっと言う間の3年。
今日は久しぶりに、振り返りnoteを書いてみようと思う。
わたしは4年前の5月、左耳の突発性難聴とメニエールになった。
簡単に言えば、"耳の病気'になったということ。
聴こえの悪さや平衡感覚の障害が残ったものの、今の職場の好意もあって3年前に復職。
耳の病気は、目に見えない病で障害があるかだなんてほとんどの人は分からない。
コロナが流行り出した頃。
わたしは、医療現場に復職した。
『なにも、こんな時期に復帰しなくてもいいんじゃない?』
と、言われたこともあったが社会から阻害されると自分は役立たずな様に感じて。さらに自己肯定感が下がって。下手したら、心の病気になりそうな気がして。
だから、わたしは自分ができる事から仕事しよう!と思って。
そんな気持ちで、3年前に復職したんだ。
わたしは障害があると、仕事ができないと思っていて。いや、思い込んでいたとでも言おうか。
自分が病気になって。
『障がい者』という立場になって。
健常な人と比べてしまうことが多かった。
だけど、できない事は出来ないとハッキリ伝えることの大切さも改めて知って。
誰かを頼って、助けてもらうことの必要性も見いだせた。
健常なときは、ひとりでできたことも今は助けがないとできないこともあって。
最初は、やるせない気持ちになって。
自分は落ちぶれたもんだと、悲観的になったこともしばしば。
だけど、人間ひとりでは生きてはいけないし。
結局は、誰かに助けてもらいながら生きているわけで。
今までは、不自由のない生活をしていたから自分が気づかなかったわけで。
自分が、その立場になってやっと気がついた。
仕事にしても、誰かしらに助けてもらって。
で、わたしも力になれることは手を貸して。
持ちつ持たれつ
な感じで、今は気を張らずに仕事をしている。
こんな私でも、頼ってくれる先輩や後輩がいて。本当に、ありがたいもので感謝の気持ちしかない。
必死に働いて。
コロナ禍で、さらに医療現場は過酷な状況になって。
忙しさが増す中で、労働条件も悪化していくけれど。
いないよりかは、なんぼかマシ!
と思って。
これからも、自分ができる範囲内で【たまに無理し過ぎてダウンしちゃうこともあるけど。笑】仕事していけたらいいなと思う。
そして、周囲の人にも感謝して。
当たり前を当たり前だと思わないように。
日々、こうやって生きていけることにも感謝して。
これからも、後悔しないように生きていきたい。
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突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪