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わたしは私らしく生きていく

突発性難聴になって今年で3年目の春。仕事復帰して間もなく一年が経とうとしている。


わたしには難聴の後遺症がある。

病気になって四六時中続く耳鳴りに、聴こえにくさ、聴き間違い、カラダのバランスのとりにくさなど未だにあって、どうしたら上手に付き合っていけるか試行錯誤中だ。


わたしが難聴になったとき。

とある病院のドクターとナースが口を揃えて言った言葉がある。


耳の病気は周囲から理解してもらえない病気なんだよ。


というものだ。


それは一体どういう意味なのかというと、

例えば脳梗塞で麻痺【マヒ】があったとしたならば肉眼的にカラダが不自由であることがわかる。

しかし、難聴のように目に見えない障害がある場合は周囲には分からない、気づかれない、理解されないことが多いのだ。


耳が聴こえない、耳に障害があるかないかだなんて見ただけじゃ分からないし普通に考えても、この人は病気なんだなって気づくことは至難の業なんじゃないのかと我ながら思う。



私は有難いことに、通常の会話は可能だが音としては聴こえても何処から音がするか分からなかったり、聴き間違いをしたり、聴こえが悪かったりすることがある。

平衡バランスにも障害があって、ちょっとした段差でさえもつまづきやすかったり、身体のバランスが保ちにくかったりするが何とか仕事は少しずつできている。


仕事内容がカラダを使うハードワークな医療現場。


みなさんからみた医療現場のイメージは分からないけど。意外とハードなこの仕事。昔は看護師は人気のない職業で離職率も多いものだった。便や尿などの処理をすることもあって綺麗な仕事内容でもなく『汚らしい』と言われていた時代もあったくらいだ。


ただでさえ人手が足りない現場で、こんなハンデを持った私は一体どこまで頑張ることができるのか?


一年前。

わたしは、こんなカラダでは現場に復帰できないと思っていた。

だけど、先輩や後輩たちに励まされて『また戻っておいで』と言ってくれる人たちがいてくれたおかげで私は去年の今頃、現場復帰をすることを決断したのだ。


カラダが不自由になってしまって、以前と同じようにいかない事も多々あって苦悩も多いけど。

とりあえず、やってみないと分からない!


って事で、はじめて早くも一年。


まだまだバリバリ働けないし、仕事内容や働く時間をセーブしながらやらせてもらっているが今、一番思うのは、

『まわりの人たちに助けてもらって、協力してもらっているからこそ、私は働く事ができているんだな』


と、改めて振り返ってみるとそう思う。


ハンデがあっても、ある程度は働ける。

だけど。

出来ることと出来ないことがあるのも事実。


1人ではできないけど、2人なら出来る!

だったら一緒に、やってもらえばいいじゃない!


誰かに助けてもらいながら仕事することは、決して恥ずかしいことではない。

誰かに助けてもらいながら、仕事することも悪くないじゃない?


いつもいつも助けてもらうのは気が引けるから、私も助けてもらったら相手の仕事を手伝ったりフォローしたり。そんな仕事の仕方も悪くないじゃない?と。そんな風に思えるようになってきた。


人に迷惑をかけるからと、ひとりで頑張っていた時期もあったけど。


病気になって私自身の体が不自由になったおかげで、誰かに頼ることやチカラを貸してもらうことを覚えた。


病気にならなかったら気づけなかった世界。



治療方法のない病気というのは辛いものだけど、それと引き換えに私に与えてくれたものがある。


これも勉強だと、神様にでも言われているのかもしれないが、これから先も大好きな医療の現場で私が出来る範囲内で貢献していきたい。








突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪