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パリの旅を有り難う! 【息子への手紙】

フランスに居る君を見に、妻と向爾(こうじ)の3人でパリに行った。

7月23日の朝5時過ぎに中華街の裏側のアパートに着いた。
未だ真っ暗で、君のアパートの部屋番号301号室が見つからない。外は石造りだが内部は木造で、廊下や階段がギシギシ音を出すので気が引ける。明りを点ける方法も判らず、真っ暗な中を念の為4階も探したら、401号室に君は未だ眠っていた。
フランスでは1階をレベルとして、1つ階を上るから(日本の)2階を1階、2つ階を上るから3階を2階と言うらしい。フランス流の考え方をひとつ覚えた。

君の住むアパートは裏庭に向いて小さな窓が一つある1Kで、寝るだけの部屋だった。
6時過ぎに外に出て、フランスパンと生ジュースを買って帰り、朝食を食べた。未だ少し温かいフランスパンの美味しいこと! フランスでは朝の6時から焼き立てのパンを売っており、フランス人はそれを毎朝近所のパン屋で買って朝食にするらしい。
「いいなー! 美味しいなー!」とフランス人の暮らし方とパン屋さんに感心した。
パリにコンビニがないので、パン屋さんのほかにも八百屋、果物屋、肉屋、駄菓子屋、鍋屋等の小さなお店が軒を連ねていて、活気があって楽しい。近くには朝市もやっている。

日本ではコンビニができて以来、それまであった日常生活用の商店街が段段少なくなって、あるのは銀行と食堂とパチンコ屋と遊びの店ばかりになってしまい淋しい限りで、パリの人々が自分達の日常生活を守る為にコンビニを許可しない賢さを羨ましく思った。便利さを追求するあまりに日本人は、パン屋のおじさんと話しながらの買い物の楽しさを無くしてしまったことを気付かされた。

その日から毎朝、フランスパンを買いに行くのは、私の仕事になった。
古い石の家をそのまま使っているのでエレベーターがないアパートの階段の上り下りはきつかったが、「ボンジュール!」「メルシー!」と言いながら、とても楽しい毎朝だった。焼き立てのフランスパンにイチゴをつぶしたのを挟んで蜂蜜をかけて食べると美味しい!

その日は雑誌のグラビア写真を撮るモデルのヘアーデザインの仕事があるとかで、9時に出かけた君と、午後4時過ぎに待ち合わせて、凱旋門を見に行った。
丁度エレベーターが故障していて、暗い石の階段をぐるぐる回って登ったが、足がだるくて、心臓が痛くなった。それでも屋上に着くと、8本の放射状に広がるパリの道路と街並みは素晴らしかった。凱旋門に八方から集まる道路を丸くまとめて、そこからどの方向へも行けるようにしたのは、戦争に苦しんだフランス人の身を守る知恵だろうか。

そしてこの日以来、何処に行ってもエレベーターは少なくて、石の道と石の階段を歩いて歩いて、足のかかとが痛くなるまで歩いた。古い物を大切に守ることはこういうことかと気付かされた。
アパートにはほとんどエレベーターがないので、最上階の7階の部屋は屋根裏部屋で、昔は召し使いの部屋であり、今でも安い部屋で、金持ちは1、2階に住むのだそうである。上の方の階を喜ぶ日本のマンション事情と逆で面白いね。

また、君に教えてもらって、地下鉄の全線共通パス券を買ったので、パリ滞在10日間は何処へ行くでもお金が要らず、何番線の何処行きかだけ見れば、何処にでも行けて便利だった。
オランジェリー美術館、オルセー美術館、ルーブル美術館、国立近代美術館、ポンピドー博物館、モンマルトルの丘の上にあるピカソ美術館と歩いて歩いて見て回った。

君がパリに居なかったら、私がパリに来ることはなかったろう。
君が居るから、ついでにモネとゴッホとモジリアーニの絵を見ようかと、この遠いパリまで来る気になった。君に感謝したい。
お蔭様でモネのあの柔らかい表現の手法はどんな色を混ぜ合わせればいいか見抜いたよ。彼の空と水の表現の仕方も判った。ゴッホの筆の使い方もよく見えてきた。今度私が描く油絵に活かすのが楽しみだ。

ところで、君の上司のロラーンは優しくて仕事熱心な良い男だね。良い上司に巡り合うことは人生最大の幸せだと思うので、頑張って彼の手伝いをしながら、彼の良いところを盗み覚えなさい。
あのネボスケの君が「仕事の日だけは飛び起きる」というのだから少しは安心したけどね。「自分を伸ばす最大の方法は、良い上司に巡り合うこと、その人にくっついて行くこと、言われたことを全力で行うこと、時間を守ること、そしてその人への感謝を忘れないこと」。
今君がそれをやる時だ!

ところで、ロラーンの連れていってくれたフランス料理の店、美味しかったねー。フランス料理があんなに旨い物とは知らなかった。彼にお礼を言っておいて下さい。

ロラーンの小型車は街角の何処にでも止められて便利だね。狭い隙間につっこんで駐車して、出る時はバンパーで押しのけて出て行くのは、日本では考えられない。
パリでは事業用の車がほとんどなくて、小型の乗用車ばかりだったが、あれは古い街並みを保存する為駐車場が少ないので、皆が路上駐車する為にそうなったのだろうね。
それと生活関連の店舗はあっても、製造工場は少ないのだろうね。それにパリではタクシーがベンツの小型車である以外はほとんどフランス製の小型乗用車しか見かけなかった。

また、ロワール地方のお城を見に3時間ほどバスで走った時、見晴らす限りの農地が広がっており、ひまわり畑やトウモロコシ畑は見たが、農場に働く1台の車も1人の人間も見ることができなかった。何という広い平野と何という人の少なさに驚いた。
7月の1ヶ月か、8月の1ヶ月かに分かれて、夏期休暇をとるそうなので、農民もお休みだったのだろうか。いずれにしても日本では考えられないことで驚いた。

また、パリの街に洋服屋さんと靴屋さんはいっぱいあって、その店独自のオリジナリティあるものを出しているが、反面それしか無くて、品数は少ない。その店をいろいろ探して歩くのが楽しいらしくて、お母さんと君達の買い物歩きは足がくたびれた。

こうやって思い出すと切りがないが、日本とは随分違うし、アメリカの影響もほとんど受けていない感じがした。マクドナルドとザップとセンチュリー21以外はアメリカの店はなかった。ここも日本と大いに違うところである。
日本はほとんどアメリカの影響下にあるからね。フランス人の誇りと頑固さを感じる。
それに、パリには黒人もいっぱい居るが、とても穏やかな明るい目をしている人が多く、私はそれが嬉しかった。 アメリカの黒人は、人身売買という歴史的背景があるからか、どこか怖い表情の人が多いように感じたが、パリの黒人は、出稼ぎに来た人が多い為か、それが表情に出ているのかもしれない。
あ、それからフランスの女性の美しいのには驚いた。私がもう少し若かったらと残念である。と、まあいろいろ感じるところ多く、楽しかったパリだった。どうも有り難う!

日本には日本の素晴らしいところがいっぱいあるが、今回の旅で私は少し変わるかもしれない。アメリカ流の合理性だけを追求し過ぎたかもしれない、と気付いたからだ。フランス流人間としての楽しみを生活の中に取り入れていこうかと思い始めた。
私の無精ひげも、結構評判いいので、続けるかもしれない。「その家族をことに自分の妻をどれだけ楽しませたかが男の勲章だ」と言うしね。今後はそういうことも考えようかと思う。

君も頑張って、パリの修業が終わったら、またニューヨークに戻って、早くニューヨークナンバーワンのスーパー美容師になって、いずれ日本にも帰ってきて下さい。
楽しみに待っているよ。

(1999年 8月25日 記 )