よくわからない方向に進んでいる

緊張や恐怖を感じることなく人とうまく付き合えるようになる。
カウンセリングを受けはじめた当初に私が持っていた回復のイメージだ。

カウンセリング開始から一年四ヶ月が過ぎた。どうなれば回復といえるのか、今はわらかなくなってしまった。

人とうまく付き合えるようになりたいという欲求が弱まっている。緊張や恐怖を感じることなく人と関われるようになるのが最も望ましい回復の姿だと今でも思ってはいるが、そのために努力が必要なら、その努力をする気力がない。

他人と感情を共有できなくても自分なりの人とのつながり方があると信じていた。
それを見つけるのがカウンセリングに通う目的だった。

人とつながる。社会に居場所を見つける。
そのために必要な能力が後天的にではあるが私には備わっていないのだ。人とのつながりを可能とする能力を得るためには母親とのつながりが必要だ。母親とのつながりがその後の人とのつながりの雛形となる。雛形を持たない私は必然的に人とつながれない。

酒を飲んでも浮かばれなくなった。
以前は飲酒時限定ながらもアルコールによる自己肯定感の高まりを感じられていた。最近はそれがない。「俺の人生は必ず良くなる」と思えていたのが、「俺の人生は完全にアウトだ」と思うばかりだ。悪い酒だ。
誤魔化しが効かなくなってきた。

人を恐れ、人に苦しめられてきた五〇年を生きてきたのに未だに人を求めている。直接的な関わりは持ちたくはないが、近くに人が存在していると確認し続けていたい。
言ってしまえば山籠りをする踏ん切りがつかないのだ。

隠居ではない。隠居できるほど生ききってはいない。
山籠りだ。山籠りをして人との関わりを最小限に止め自分の人生と向き合い、意味を見つけ、折り合いをつけたい。そうしないと死ねない。死ねない限り生きられない。

遠くからなら人類の幸せも祈れるのに、眼の前の関わりある個人が相手になった途端、怒りと緊張が勝ってしまう。

個人としての人とのつながりは諦めて、人類の一員として、人類という種とつながることができる道を見つけたい。書きながら自分でもよくわからない。でもそういうことのような気がする。

けっこうな期間、喜怒哀楽の全てが未分化なまま心のなかで渦巻いている。
早くここから抜け出したい。これはほんとにしんどい。

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本日はこれにてご無礼いたします。
みなさま、くれぐれもご自愛くださいませ。
ごきげんよー









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