心理的ネグレクトによる苦しみを試練ととらえアンビバレント

私は幼いころからある宗教団体の施設に連れて行かれていた。母の姉である伯母が信仰していた宗教だった。後には父を除いた私の家族全員がその信仰に入る。

教えのなかに人間はそもそも罪深いものだというのがあった。初めてその施設に連れて行かれた際に、私は頭を下げて、「ごめんなさい。ごめんなさい」と信仰対象に対して詫び続けたという。

物心をつかない子が何を教えられたわけでもないのに信仰対象に謝罪する姿。それを見た伯母は、この子は信仰においてかなり優秀だと思ったと後々になって私に語った。

伯母のその言葉を聞き、私自身も信仰との出会いを運命と捉え信仰の世界において自分はエリートであると自覚するよになった。

不安と恐怖ばかりの毎日を生きなくてはならない原因は私の犯した罪にある。生きていたくないほどの苦しみの原因は自分自身にあるというお墨付きを信仰によって与えられたのであった。母から受けた心理的ネグレクトが不安と恐怖の原因だったのに。

母からの心理的ネグレクトによって育まれた自己否定に苦しみながら生きてきたというだけならまだ良かった。それだけなら49歳まで待たずとも母からの心理的ネグレクトに気づけていた可能性はある。

ややこしいことに信仰が私に真実を見えなくする三つの目隠しをした。

一つ目は、「どんな父母であっても産んでくれただけで感謝しなくてはならい」という目隠しだ。これはシンプルで、産んでくたさっただけで親の恩は山よりも高く、海よりも深い。だから親に感謝をできない人間は救われないという教えだった。これにより父母による虐待を疑う芽は摘まれた。

二つ目は、「悪いのは父である」という目隠しだ。我が家で父だけが信仰に反対をしていた。父を信仰の敵として母と兄妹と私の結束は固まっていった。母は味方であり良い人だ。これが49年間母からの虐待をまったく疑わず、カウンセリング初日でカウンセラーに父からの虐待のみを訴えるという大きなる勘違いを生んだ。

三つ目は、「私は神から選ばれた選民である」という目隠しだ。信仰のおかげで私は世界の行く末を、神の定めたルールを知った。それらは友人の誰も知らない「真実」だった。私は真実を知っている数少ない人間の一人なのだ。

信仰対象は何らかの期待をかけた人間には苦しみという試練を与える。私は毎日ひたすら不安と恐怖に苦しんでいる。つまり私は神から選ばれ人間なのだ。こうやって私に選民思想が根付いた。

罪深い存在の自分を責めることで自己否定を繰り返す。一方で自分は信仰の世界ではエリートであり選民であると信じる。自分を否定しながら肯定しようとするアンビバレントな心理状態。

これは病む。心が落ち着かないのも当然だ。私が自分にかけた洗脳は「母は優しい人」というだけではなく、「私は罪深い」「しかしエリート」というややこしいものだった。

そうでもしなくては不安と恐怖だけの毎日を生きていけなかったのだと思う。心はズタズタに引き裂かれていった。

ー 終わり ー






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?