こんなにも豊かな世界の中にいて孤独を感じるアンビバレント

昨日はひどい二日酔いだった。気分はすぐれず自責の念にかられるだけの一日を過ごした。一昨日夜、消化できない憤りに付き合いきれず酒に逃げた。酒に逃げるのは毎日のことだが二日酔いになるまで飲む酒は完全に悪い酒だ。俺の飲酒は現実逃避のためにある。その自覚は持っている。

現在、自分史上最悪の自暴自棄期だ。人という人がめんどくさい。目的もなく生きている自分に苛つく。達成感のない人生に意味を見出せない。五〇歳にもなって自分の感情の面倒もみられないとはどういうことだ。

無職でやることもなければ人生の目的もない。仕方ないので散歩に出かける。散歩といっても気楽なものではない。家にいても妻に申し訳ないし、妻が恐いし、図書館に行くという理由でとにかく家から出る。目的もなければ居場所もない。

少し歩くと汗ばんできた。図書館についてみると居眠りをしている老人やスマホで動画を見ている若者たちが席を占めている。本を手にしても座る場所もない。二冊借りて図書館から出た。

下手に出るといつの間にか馬鹿にしたような態度を取られることが多かった。俺が相手を気持ちよくさせる言動をするのは人が恐いからだ。サービス精神でやってるのであって全て演技だ。

親しくなりたい訳じゃない。時間と空間を共有している間だけは相手を不機嫌になってもらいたくないから自分を卑下してみせるているだけだ。それをみんな上下関係が成立したと勘違いする。俺に対して説教が増える。指示が多くなる。

相手の態度に我慢も限界を迎えたとき俺はブチギレる。相手を的確に苛つかせる言動をとりはじめる。俺の態度がそれまでとは180度近く変わったことに相手は戸惑う。

その繰り返しだ。調子のるんじゃねえ、クソ野郎どもが。でも調子に乗らせたのは俺だ。調子に乗せるのもうまければ、苛つかせるのもまたうまい。相手もクソだが、どちらがよりクソかといえば俺だろう。

歩いても歩いても苛つきはおさまらない。ふと目を上に向けた。葉っぱだらけになった桜の木がある。横にはツツジの生け垣。紫陽花が咲いているドクダミの花やスズナもいる。これはハルジオンだ。

地球に存在する植物が十種類くらいしかなかったら世界はとんでもなく味気ないだろうなと思った。

歩き続けた。夕方の商店街には沢山の人がいた。男性、女性、老人、子供、学生など。見た目からわかる属性の数はそれほど多くないけど一人ひとりは皆違う。顔が違う、体型が違う、自転車の乗り方も違う。歩き方も、着てる服も、持ってるものも違う。誰かといる人もいれば、一人でいる人もいる。きっと考えていることも一人ひとり違うはずだ。

みんな同じだったら恐いなと思った。いろんな人がいるというのは素敵なことだと思った。一人ひとりにオリジナルの人生がある。いろんな人がいるということが社会を豊かにしているのだ。

急に泣きたくなった。たくさんの植物や人間が生きている世界に自分はいる。なのに普段は不安と恐怖と憤りばかり感じて生きている。こんな豊かな世界にいても俺は孤独なのだ。涙が出そうになる。外なのでなんとかこらえた。

この豊かな世界や社会に受け入れてもらいたい。でも人が怖い。アンビバレントは終わらない。

ー 終わり ー

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