みんな土に還るんだ

死んではいないだけだった。
過去への悔いと将来への憂いばかりの毎日。今ここではない場所で生きたいと願っていた。今はなかった。今を生きない五〇年間。時間だけが過ぎていた。

物語がなければ人生に意味を見出せない。人生が物語として成り立つために必要なものは人とのつながりだ。人とのつながりから生まれる喜怒哀楽によって起こる様々な出来事が人生を物語にしてくる。人生に意味が生まれる。

私の人生には物語がない。全てが虚しい。義務感のみで生きている。

宗教の教えを生きる支えてとしてきた。自分にしか果たせない使命があると信じて報われない努力への虚しさを忘れようとした。次こそはと、自分を奮い立たせてきた。

したいことなど最初から何もなかったのだ。
偽りの目標を設定して、生きていくためにそこに向かって頑張っているふりをし続けただけだ。

人とつながりたい。求めていたのはそれだけだった。しかし今となってはそれさえもどうでもよくなりはじめた。人とつながりたいという欲求も失いつつある。

私利私欲しかない政治家とか、厄介な近隣諸国とか、遠くで起きている戦争とか、物価の高騰とか、闇バイトとか、迷惑行為の動画投稿とか、不倫する俳優とか、うんざりするような世の中でも人とのつながりを信じている人達が多数派なら世界が決定的に壊れることはないのかもしれない。人とのつながりは偉大だ。

生きる目的が見つからない。かといって自ら死ぬ気もない。誰かを恨めるならそれもまた生きがいになるのかもしれない。残念ながら生きがいにできるほど恨める対象もいない。

せめて金銭欲、性欲に忠実になれたならもっと楽に生きられただろう。宗教がそれを許さなかった。禁欲的であれ。苦しみこそが幸せに至る道だと教えられてきた。

酒を飲めばこんなことは考えなくてすむ。酒を飲んでいれば時間は過ぎる。酒を飲む時間は無駄だとわかっているが、やりたいことがないのなら酒を飲まなくても時間を無駄にしてるのは同じだ。だったら飲んだ瞬間だけでも虚しさを忘れてしまえた方がまだましだ。

土を触って生きていきたい。アスファルトとコンクリだらけの生活に耐えられるだけの人への信頼感が私にはない。

あと少しだけ残っている他人への期待が失せたとき、原風景を求めて住処を変えると思う。

死んだら土に還るだけ。そんな覚悟の決まった人生は素敵だ。土への憧憬。日に日に想いが強くなる。

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ありがとうございました!
本日はこれにて失礼をいたします。
みなさん、生き延びましょう。






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