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雀(すずめ)と 鎮め(しずめ)
わたしは、神さまとの付き合い方がわからない。
もっとも、わたしとエネルギー的につながり、いろいろと指示を出してくるのが、神さまであるのだとしたら、のお話なのではあるが。
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そういえば、私は小さい頃から、少し風変わりな子だったらしく、母が言うには「八百屋さんに行っても、かならずその家の神棚にを合わせる子だったよ。」ということだった。
わたしには、そんな「ものごころ」付く前の記憶は残っていないのであるが。
「八百屋さんが、『えらいね』と言って、お菓子をくれていたよ。」と母が言うので、「ええっ! それじゃあ、お菓子が欲しくてそうしていたんじゃあ、ないの?」と言って、ふたりで笑い合ったりしていたものだった。
でも、たしかに、わたしは子どもの頃から境界線のうすい子だったのは、自分でも自覚がある。
たとえば、トイレに行ったときに、現実的にはひとりになるわけだけれど、「ひとりになったからといって、見えてないわけではないんだよ、ちゃんとみえているんだよ。」と思っているような子どもだった。
どこから、ちゃんと見えているのかといえば、いうなれば、神さまの世界から、である。
だけど、小さい頃にこのような体験をしていた子どもは、あんがい多いのではないかな、ただ、大人になると忘れてしまっているだけで、とも思っている。
日本人としての、「お天とうさまが見てるよ」というあの感覚に、これは、ぴったり合致するものではあるけれど、だからといって、身近な家族の誰かが、いつもその言葉を話していたからインプットされたものとは、違うもののように、自分では感じている。
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ちょうどタイムリーに、映画『すずめの戸締り』が、テレビで放送されました。わたしは、ゆうべ見ることはできなかったので、録画しておいたものを、先ほど観てみました。
じっさいに映画館で見て以来、ひさしぶりに観たことになりますが、やはり、これから書こうとしていることとも、ずいぶんとリンクしている内容の映画であるように、思えました。
前に、この映画を映画館で見たあとで、これに関した文章を書いた記憶があったので、探してみました。みつかりました。
アニメ映画『すずめの戸締り』もう一つの方法。 | アトリエえんどうまめ 今季洋の日記 2。 (ameblo.jp)
こちらのブログには、ミミズ(集合無意識)の中に溜まる不燃焼ガスを、要石で封じる以外の、別のもう一つの方法について書いています。
こちらのブログには、ダイジンがすずめの言葉によって、痩せたり太ったりすることについて、言霊のパワーをもとに書いています。
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どうして、この『すずめの戸締り』の映画がテレビで放映されたことがタイムリーなのかというと、これからわたしが書こうとしていることが、地震とも関連することでもあるからです。
そのことについては、おいおい書いて行くこととして、それにしても、どうしてこの映画の主人公の女の子は、名前が「すずめ」なのでしょうか?
新海誠監督のX(Twitter)には、このようなポストがありますので、おそらく監督的には、ここからつけた名前であることは考えられますか。
スズメとツバメ、2匹ともちょうど3年前の今頃やってきました。あの頃は『すずめの戸締まり』はまだ制作の初期段階で、自分にとっては映画も猫たちもまだまだ未知で、一緒に親しくなれるようにと映画から名付けたのでした。無事に大きくなって良かった!#すずめの戸締まり pic.twitter.com/3vHmba3eN8
— 新海誠 (@shinkaimakoto) April 5, 2024
ただ、わたしが、この「すずめ」という名前に特別感を感じているのは、わたしの「うぶすなさま」の神社が「雀(すずめ)神社」という名前でもあるから、ということもあるのでした。
これは、きちんと確認したわけではないので、違うのかも知れないのですが、「どうして、雀(すずめ)なの?」という問いに対して、ずっと昔に誰かが教えてくれたことは、「ほんとうは、雀(すずめ)じゃあなくて、鎮め(しずめ)なんだよ。」ということでした。
鎮め(しずめ)、つまり鎮魂のための神社であったということだったのです。というのも、この神社の近くには川が流れていて、それが昔はよく氾濫していた。その川の氾濫を鎮め(しずめ)るための祈りの場所が、この神社だったということなのです。
雀(すずめ)= 鎮め(しずめ)、そう考えると、映画の中のすずめちゃんがしていたことは、まさにこの鎮魂ですので、ほぅ!と、この言葉の一致に驚いてもいるわけなのです。