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子供を売って、バイクを買った…「胎児を売る」ベトナム中部の現実

発展するベトナムにおいてなかなか光の当たらなくなった「貧困」「格差」の問題、実は日本の技能実習生を巡る問題の背景ともなっており、そんなに日本と縁のない話題ではありません。そんな中、自身も関心のある中越関係の負の社会的側面「人身取引」に関しては以下note記事でも書いたことがあります。

今回我が愛読紙ベトナムTuoi Tre紙が力のこもったルポ記事連載その2その3)を掲載、そのタイトル「胎児を売る」からして、ショッキングな内容となりました。こちら、上記noteの続編的な感じにもなりますが、是非お読みいただき、また違ったベトナム社会の一面を感じて頂ければと思います。

売る側の事情:とある少数民族の村にて

舞台はベトナム・ゲアン省、故ホーチミン主席の生まれ故郷として多くの革命家・政治家を生み出した革命の聖地でありつつも、山がちで少数民族も多く居住し、経済的にはまだ立ち遅れている地域としても知られています。今回「胎児売買」の「供給側」は、そんなゲアン省のラオス国境近くのとある村です(以下地図のピンの立った辺り)。以下TuoiTre記事抄訳をご覧ください。

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HoaはKhơ Mú(コームー)族の女性、多くのコームー族女性のように思春期の頃には既に結婚をすることになった。この地域では多くのコームー族男性が働かず、酒におぼれるケースが多く、Hoaの夫も例外ではなかった。妊娠するとHoaは余計に多く働かなければいけないことになり、苦しい家計を支える中、妊娠8カ月の時期に同村で仲介を行う女性に会うことになる。そして「向こうで産めば8千万ドン(約40万円)もらえる」との誘いに同意し、村の他の妊婦と一緒に国境を渡ることにした。行先はすぐ隣のラオスではない、北部国境を超えた中国である。

国境を渡ると「どこだかわからない」小さな農村の家にいれられて、食べ物は十分に与えられたが外出は一切許されなかった。そして産気づくと病院へ、生まれた赤ちゃんを「一目見ただけで」子供は連れて行かれ、その数時間後すぐに病院からも退院させられ、ベトナムに戻ってくることになった。報酬としての8千万ドンを受け取ったHoaのまぶたには、わずかの時間しか見ることのできなかった我が子の姿がよぎる。そしてHoaと夫はその8千万ドンでバイクを買うことにした。我が子を想い、「あなたが買ってくれたバイクだよ」と思うことがあるという。

少数民族地域には多いことだが、この地域も経済的に苦しいが故か、子供の多い家庭も多く、既に何人かの子供、特に男児がある家では「一人くらい売っても良いか」と軽い気持ちで子供を売ってしまう家庭があるという。5-8千万ドンという報酬は、この地域ではそれ程に大きい額であるともいえるだろう。

仲介者の現実:被害者から仲介者へ、ご近所からのお誘い

仲介する女性の過去も様々だ。ある女性は元々不法入国で中国に出稼ぎに行き、そこで結婚してから地元と行き来する中で、地元に残る母と一緒に「スカウト」活動に携わるようになった。地元の村に残る母親が、妊娠したご近所さんに足しげく通い、暮らしをいたわる世間話をしつつ、子だくさんで経済的に苦しい様子だとわかると「あら、お宅も暮らしが大変ねぇ、実はこんな話が…」と誘いをかけるというわけだ。

また他の仲介者は同じくコームー族の女性だが、自分自身が元々人身売買で中国側に売られてしまった経歴を持つ。その後中国で結婚したが、同じ身の上だったベトナム人女性と示し合わせてこの「胎児売買」を仲介し始めた。被害者から仲介者へとの転身をした、彼女らの心情は如何なるものだろうか。

トラブルは絶えないリスキービジネスだが…

そんな中ではトラブルが起きることもしばしば。例えば中国での出産を誘われたある女性、実際に子供を産んで戻ってくると報酬がわずか400万ドン(約2万円)しか払われない。憤慨して理由を聞くと「子供が生まれた時から病気持ちだったから売れなかったんだ」と後から聞かされる。納得できないと「公安に訴える!」と何度も交渉した結果、もう800万ドンが支払われたが、結局1200万ドンしか手にすることはできなかった。

ある家庭では出産をしに行った奥さんが「交通事故に遭って死んでしまった」として遺体で帰ってきて、しかもその遺体搬送費用のために更に1億ドン(約50万円)の借金を抱えることになった家庭もある。突然家族を失い、ただ更なる借金だけが増えた夫は泣くに泣けない。契約も保険もない中で、何かがあったら誰も保証はしてくれないことは明らか。ただでさえ苦しい生活が、この「胎児売買」ビジネスで人生を更に大きく狂わされることもある。

同村の公安は「誰かが妊娠したというと、常にパトロールして妊婦が村内にいるかを見て回らなきゃいけない。公安が人口幹部(注:ベトナムも人口計画を推し進めていたので、中国のように家庭計画を管理する幹部がいる村が地方では多い)の仕事もやらなきゃいけないよ」とぼやく。村での啓蒙教育、そして今年は新型コロナウイルスの「おかげ」で胎児売買ビジネスは落ち着きを見せているが、公安幹部は常に警戒を怠らない。(抄訳終わり)

以上、TuoiTre記事からの抄訳でした。本当は、売られてしまった子供たちは、そして子供を胎児の頃から「予約」して買う中国側の事情はどうなっているのかも気になるところですが、そこはやはりベトナム側からの取材では難しいのでしょう、それ以上の言及はありませんでした。もう少し突っ込んで欲しい気もしましたが、またの機会に期待しましょう。

何故ゲアン省か?何故(北)中部か?

中国との間の人身取引という意味では、直感的に想像するのは「陸路で国境を接している村などから誘拐されるのだろう」というイメージ。しかし、今回の舞台は中部ゲアン省(ベトナムの地理区分としては北部地域より南、ダナン・フエより北の地域を「中北部」とも言いますが)。思い返せば、以前にこのnote記事で触れた「物乞い仲介ビジネス」について、こちらもその「供給源」はタインホア省と中部(北中部)の街でした。

また、ベトナムに関心のある方なら記憶に新しい、人身取引の大事件としては昨年10月、イギリスでコンテナから39人が遺体で発見された事件が衝撃的でした。当初全て中国人かという報道でしたたが、結局中にいたのは全てベトナム人、そして多くはハティン省、ゲアン省というベトナム中部の省でした。この被害者の中には日本に働きに出て戻り、更にイギリスに渡ろうとしたゲアン省の女性もいました。

先に紹介したように故ホーチミン主席の生家がありゲアン省始め、昔から貧しいがゆえに勤勉で、その努力により成功者も多いと言われる北中部地域。その一方、経済発展が遅れているということに加えて、山岳地域、ラオスとの国境など複雑な地理的条件にもよるのか、こういった人身取引、麻薬取引など社会問題も多く報道される地域でもあります。また、ベトナム国内でも「タインホア、ゲアンの人はどうも…」といって避ける動きもあるなど、出身地差別がされるケースも聞きます。こういった中部の人たちを取り巻く環境も、時に極端な行動に駆られてしまう遠因になっているのかもしれません。

ハノイ、ホーチミンに住んでいると忘れてしまいそうになる、ベトナムのこういった違った経済格差は、時に人を中国に動かし、そして時に多くの若者を日本への出稼ぎへと向かわせています。その意味も含めて、日本人である我々も知っておかなければいけない事実でしょう。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。