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歴史&革命の舞台となった山間の街:Tuyên Quang街歩き

今日は久しぶりにベトナムの地方での街歩きについて。北部山岳地方の要所である、Tuyên Quang(トゥエンクアン)にちょっと寄ってみた、その時の様子を書いてみたいと思います。Tuyên Quangはベトナムで「Chè Thái gái Tuyên」(お茶はThái Nguyên、美人はTuyên Quang)という言葉が知られ、美人が多い地域とも言われています。

90年代に活躍したモデルThủy HươngもTuyên Quang出身

Tuyên Quangはベトナム北部山岳地域に位置し、高速道路もできたので直接来ればハノイからの所要時間も2時間ほど。今回違う地方省からの出張の途中で来たので、山道をガタガタ揺れながらたどり着きました。

山道を、茶畑を見ながらガタガタ走る

まずはこの街のランドマーク、大きく目に飛び込んでくる革命由来の建築物や広場の数々。この街が北部革命戦争において重要な役割を果たしたことが強調されています。大きな広場はベトナム各地の大都市にありますが、ここの規模もなかなかのもの。この日は軍隊のパレード行進のリハーサルをやっていました。

Quảng trường Nguyễn Tất Thành
(Nguyễn Tất Thànhは故ホーチミン主席が若い頃名乗っていた名前)

街の真ん中には、かつて北部ベトナムを統治した莫朝時代(16-17世紀)の古城の面影を残す門や壁の跡が。これしか残っていない、と言えばそれまでですが、周りが少し小高くなっていて、これは恐らく昔お城だったのかなあ、と当時の様子を想像しながら歩くと、それはまるでブラタモリ気分♬井上陽水の「女神」を聴きながら、タモリさんになったつもりで街をさらに進みます(でも時間は無いのでブラブラではなく、超早歩きw)。

莫朝古城の西門跡

そしてこの街の発展を語る上で語れないのはSông Lô、ロー川の存在。今でも周辺はかなりのガタガタ道、ましてや昔は本当の山道だったでしょうこの地域で、この水路を使った輸送、貿易は、この街の発展を大きく助けたことでしょう。

雲隠れする山並みが背景に美しいロー川

そしてその水路での安全を守るため意味もあるのか、川沿いには多くの廟があり、聖母(Thánh Mẫu)を祀っています。この聖母信仰は道教の影響を受けたもので、中国は勿論、東アジアで多く見られます。ベトナムでも広く信仰が見られ、Tuyên Quangの廟で祀られているのは上岸聖母(Thánh Mẫu Thượng Ngàn)だそう。この辺りはまだまだ要勉強、要研究です。ともかくも、街には美しいお寺がたくさんあり、これだけでも何本もノート記事が書けそうな程(でもあまりにマニアックになりそうなのでまた別途)。

Đền Cảnh Sanh(景生廟)
景生廟のCô bế

訪れたお寺の一つの名前は「Đền Cô Bé Mỏ Than(超直訳では、炭鉱の女の子廟)」言う変わった名前。廟の周りでお茶を飲みながら地元の人に聞くと、Cô Béはこの地域一帯の信仰である聖母の俗称のよう(随分と呼び方が馴れ馴れしい感じもあるが)。この辺りはフランス植民地時代頃から炭鉱開発が盛んで、それに由来した名前なんだそう。確かにここで石炭が取れたら、すぐ水路で輸送でき、さぞかし便利だったことでしょう。

Đền Cô Bé Mỏ Than

再び街の中心に戻ると、湖には巨大な戦没者慰霊碑、そしてその隣の中洲には、Tuyên Quang省博物館があります。革命時代の歴史を中心にかなり立派な展示(来場者は幼稚園の遠足の子どもたちだけでしたが)。地方省でこれだけの規模の博物館に国家予算を投じられるのは、まさにここが革命聖地であると言うことの表れでしょう。

Đài tưởng niệm Tuyên Quang(戦没者慰霊碑
お城のような立派なつくりの博物館

凄い勢いで歩き回ったとはいえ、短い時間だったので食と地域の少数民族に関してはなかなか深入りすることはできませんでした。次はもっと地元の人や料理についてまた調べに来てみたいそう思わせる、そんなTuyên Quangでの寄り道でした。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。