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ベトナム人は「寛容な」人たちか?(国民性を表すベトナム語表現・故事と共に)

ベトナム人はYêu nước, đoàn kết, chăm chỉ lao động?

今回は「ベトナム人ならではの特長」と題されたTuoi Treのコラムを取り上げ、そこで出てくる表現が色々面白かったところ、そのベトナム語表現と共に、同テーマについて考えてみたいと思います。

まず作者は「国を愛し、団結し、勤勉である」というベトナム人に対して「よく言われる」言い方は、他の国の人にも多くあてはまり、必ずしもベトナム人ならではの特長ではないと論を展開します。

確かに自分自身も、これら特長と言われるものに「まあ、そうだけど…、そうかな?」と長く感じているところです。なので、このコラムがどう展開するのかなと興味を持って読み進めたところ…

Khoan dung, độ lượng, hòa hiếu, không thù hằn quá lâu

そこで彼がベトナム人ならではと考える特長がこれです。つまり「寛容、度量があり、平和を好み、恨みを長く持たない」という意味です。これこそが、他の国に類を見ないものであると、作者は主張します。ベトナム人は過去の恨みなどを長く持つことなく、皆と友達になるよう接してきたのであると。そういった特長を違った慣用句で表現していくと…

Chín bỏ làm mười

これは直訳すると「9は捨て10とする」となります。つまり「まあもう9なんだから、10ってことでいいじゃないか?」とその大らかさを重視する感じで、細かいところにこだわらず概ね良しで良しとする、些細なところでもめないといったことを示しています。

確かにこれは今のベトナム人にも当てはまりそう。「まあ、これくらいでいいんじゃない?」と詰め切らずに、残業せずに帰っていくベトナム人(時に日本人は、そのためにストレスを溜めますがw)。大らかなところは、精密な正しさを重要視する職人的気質とは合わないので、特に製造業の方などは苦労されているかなと思いますが、日々のストレスを軽減するには確かにいい性格だなあと思います。

Một điều nhịn, chín điều lành

さらに同記事が引用するのはこの慣用句。これは直訳すれば「一つ我慢すれば九つ良し」となりますでしょうか。つまり、世の中色々あるけど、我慢するところをちょっと我慢すれば、全体が大分丸く収まりますよ、と言った意味。まあ完璧を求めすぎないで、だいたい良ければ良いんじゃないですか、という意味で上記「Chín bỏ làm mười」に近い意味と併記され、紹介されています。

ただ最近ゲアン省Vinh市で起きた、高校生のいじめを苦にした自殺の事件に関する記事では「Một điều nhịn, chín điều lànhではけしからん!」と、我慢する側が度を超す状況はいけない、という文脈でこの慣用句を記事タイトルにしています。もちろん、個人の人生観としてはある程度の我慢は必要(有用)かもしれませんが、それが苦痛を特定の人に押しやる方便になってはいけませんよね。

Tứ Hải giai huynh đệ(四海皆兄弟)

また作者はサイゴン(現・ホーチミン市)の人たちの気質として、この言葉を挙げていました。言ってみれば「人類皆兄弟」ということですね。北部以上に多くの異なる文化の人たちが住み、北部から来たベトナム人に加え、チャム人、クメール人、華人が一体化してきた歴史を抱える南部ベトナムでは、恨みを残さないどころか「皆兄弟」としてやっていくことが、平和を保つ秘訣としてより強調されてきたのかもしれません。

ちなみにこの表現は、中国語起源と思われ、孔子の論語に出てくる「四海之内,皆兄弟也」が出典だそうです。

Nguyễn Trãiが見せた明軍退却への寛容な態度

このベトナム人の寛容さを示す例として、一つには故・ホーチミン主席時代からもあるという「全方位外交」精神、つまりどの国とも友達になる姿勢に言及しています。その例として戦後、アメリカ人元兵士などへも遺恨を残すことはなかったということですが、確かに自分自身、初めてベトナムを訪れた1997年段階でも対米感情がそこまで悪くなさそうなのに、とても驚いたのをよく記憶しています。

また歴史を紐解き、陳朝末期、黎朝初期の名臣Nguyễn Trãiについて触れています。ホアンキエム(還剣)湖の亀と刀の伝説で有名なLê Lợi(黎利)王が当時のベトナム侵略を試みた明朝軍を撃退した後、敗走する10万とも言われる明朝軍を完全撃破べきとの意見もある中「後に不要な禍根を残す必要ない」とし、敢えて退却の路を断たず、帰国することを許したNguyễn Trãiの振る舞いを挙げています。

寛容さはプラグマティズムの裏返しか?

確かに自分の体感としても、ベトナム人は過去のことを恨んで、こちらにネチネチ言ってくるようなことはあまりありません。むしろ「もう忘れちゃったの!?」というほど、すぐ水に流すような感じがすることもしばしば。ただもしそうだとすると、現在のベトナム人に根強いと思われる「反中感情」はどう理解できるでしょうか?「中国人は千年来の敵だからね」というと、非常に過去にとらわれているようにも感じます。

ただこれに関しては「中国との関係が、今この瞬間も引き続き強い脅威、リスク要因だから」ということに尽きるのかなと思います。領海・領土問題あり、時に起きる漁船の被害あり、人身売買などもあり、と巨大な隣人と国境を接する苦労は色々あります。経済的に利益を得ていることもあるでしょうが、中国経済に依存しているリスクを指摘する声も多いです。こういった中で、現実的な脅威であるがゆえに警戒感は緩めない。またその脅威がある故に、目前の脅威ではないその他の皆とは過去のわだかまりは超えてお友達になれる、という風にも繋がりそうです。歴史的原因は主にレトリックであって、実際は現実主義のベトナム人がゆえの反中感情なのかなあと、そう私は理解しています。

色々な表現と共に「ベトナム人はどんな人たちか?」についてご紹介しました。皆さんはどのように思われますか?

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。